この本では、著者河野有理が多くの歴史家を取り上げて、その「史観」について書いています。
「史観」の歴史についての本でもあります。
史観とは何か。
ネットの辞書では、「歴史をとらえ、解釈するときの根本的な見方や考え方」とありました。
「歴史観」とも言うと。
たとえば、唯物史観、マルクス史観、司馬史観、自虐史観、などなど、、、
これまで多くの人が様々な史観にもとづいて歴史を語っている、ということがわかりました。
同じ一つの事実に関して人によって解釈が異なることはもちろん、同じ人でも時代や社会の移り変わりによって後に解釈を変更することがある。
また、「史観」「歴史観」が、それが語られる時代や社会の影響を大きく受けていることから、
「史観」「歴史観」について語ることは歴史を語ることとイコールだなと感じました。
思ったのですが、
中学や高校で「歴史」、たとえば「日本史」や「世界史」の科目がありますが、
それだと、そこでは唯一の正しい真実の歴史を学べるという誤解を与えるのではないか。
ひとつの事象について、多くの人がそれこそ多様な史観にもとづいていろいろな解釈をしているのだから、
「歴史」の教科書に書いてあることがただひとつの真実ということではなく、たくさんある評価のひとつにすぎない。そしてその評価の対象となる事実が真実は実際どうだったかは100パーセントははっきりとはわからないことが多い。
そこで、歴史の科目名は「日本史」とか「世界史」とかじゃなくて、「日本史学」とか「世界史学」とかにすればいいんじゃないかな。
あ、今は「日本史探求」や「世界史探求」というんでしたっけ。共テの科目名、こんなかんじでしたね。こっちの方がいいなと思います。
教科書検定だって、たしかに国家権力による歴史教育への介入という大問題があるけれど、
教科書執筆者も自分の歴史観を生徒や学生に対して国家権力からいわばお墨付きをもらった「教科書」という媒体を通じて訴えようとするのであれば、国とやってることは似てるのではないかと思います(執筆者は自分の本を一般の書籍として出版できるのに教科書として出版することにこだわるとしたら、の話です)。
だから、歴史の教科書やテキストを読む側としては、
この執筆者はこういう史観にもとづいてこういう歴史の解釈を叙述しているんだな、と一歩引いて批判的に読むスタンスが大事なんじゃないかなと思います。複数の解釈を比較したり、、、
そういった意味で「史観」を意識できることは意味のあることだと思いました。

