この夏、念願叶って、長野県上田市を初めて訪れることができました
(地方での息子の試合の応援に行く途中に立ち寄りました)。
この上田行きにそなえて、大河ドラマ『真田丸』の録画を見返して気持ちを盛り上げておりまして、予習もバッチリです。
上田に着いて、新幹線のホームのベンチが木製の千両箱のデザインに真田の六文銭で大興奮!
ここにも、
駅構内のお土産やさんに六文銭!
・・・このあと、上田市内のあちこちに六文銭の看板や表示があり、いちいち興奮していられないことが判明します、笑
上田駅をあとにして、すぐに向かったのは、
お蕎麦やさんのくろつぼさんです。
大人気のお蕎麦やさんで、お昼の開店時に既に行列ができていました。
ランチにお膳の「華」を予約していました。
馬刺しや信州のお野菜など盛りだくさんでした。
お蕎麦は鴨汁と蕎麦つゆの二種でいただけます。
とても美味しかったです。
デザートは蕎麦の実ののったアイスクリーム。
冷たい蕎麦茶も美味しかったです。
ご馳走様でした。
このあと、上田城趾公園を散策しました。
くろつぼさんから上田城の跡までは徒歩10分くらいです。
お城の敷地内の真田神社です。
写真を中心に・・・
真田石、素晴らしい巨石でした。
この上田城で、二度も真田が徳川を苦しめたかと思うと感慨もひとしおでした(第一次・第二次上田合戦)。
第二次上田合戦では、真田昌幸は秀忠の大軍を足止めし、おかげで秀忠は関ヶ原の合戦に遅参してしまうという大失態をおかします。
そして、関ヶ原の戦いのあと、家康は上田城を取り壊してしまいます。
関ヶ原の戦いのあとの流れです。
1600年 真田昌幸が西軍につく
↓
昌幸・幸村は高野山・九度山へ
↓
上田城は破却される
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1611年 昌幸 九度山で死去。享年65歳
↓
1615年 大坂夏の陣で幸村戦死
↓
1622年 兄・信之が上田から松代へ移る
↓
1622年以降 仙石氏が上田藩主となり、上田城を再建
現在の上田城の跡は、仙石氏が再建したもので真田により築かれた城そのものの跡ではないのですね。
それでも、この地に真田昌幸が城を築き、第一次・第二次上田合戦で徳川軍を大いに翻弄し苦しめたこと、そしてその後の真田父子・兄弟のたどった運命を考えあわせると、胸にこみあげてくるものがありました。
公園内の博物館には真田昌幸の甲冑や書状など充実した展示がなされていました。
限られた時間でゆっくり見学できなかったのが残念ですが、またいつか、ぜひ訪れたいです。


















