こんにちは。

 

京都に着いた初日の朝、家族で天王山ハイキングをした続きです。

前の記事はこちらです。

 

天王山を無事に下山すると公園があり、休憩することにしました。

登山が結構ハードで、おなかもすいていました。

わたしエライ!と思ったのが、ちょうどこのとき、この日の早朝東京の自宅を出る前ににぎってきたおにぎりとミカンとバナナを携帯していたのです。

新幹線の車内で食べるかな?と思って持ってきたのですが、ほぼ始発の便だったので、車窓から富士山を見た後はみんなうとうとしちゃってかなり残ってしまってました。

ミカンとバナナは家に置いててもいたんじゃうかな?と思ってあるだけ持ってきて、しかも山崎に来る前に宿に預けずにリュックサックに入れて持参していて、ほんとうによかったです。

 

登山のあと、公園のベンチにすわって皆で食べたおにぎりとミカンとバナナ、美味しかったです!

(ある意味、京都で食べたどのごちそうより美味しかったかも・・・さすがにそれは言い過ぎかな。

 

満腹になって落ち着いて公園を見渡すと、

そこは「大山崎瓦窯跡(おおやまざきかわらがまあと)」という史跡でした。

 

「大山崎瓦窯跡は、8世紀末から9世紀前半にかけて、平安京造営に必要な瓦を生産した遺跡です。」

とあります。

 

「大山崎瓦窯…は淀川流域に所在します。…近くには、…山崎津という拠点的な港があります。

こうした位置関係から、瓦の運搬には、水運を利用したことが推測されます。

窯の場所の選定には、近くの港の存在が重要な条件だったようです。」

 

なるほど~、瓦は重いから水運で運搬したのですね。

 

(もしもよろしかったら写真を拡大してごらんください。)

 

 

 

 

以前から、お城やお寺で見る「軒瓦」の丸い刻印(スタンプ)がいろいろな模様があって面白いなと思っていました。

スタンプの文様が窯によってちがうこと、また、窯と窯のあいだで技術交流があったというのも興味深いです。

 

現場の窯の配置図。

5基ずつL字型に配置されていて、「作業空間を共有することによって、作業効率をあげようとする意図がうかがえます」

 

 

窯の跡の上にはわかりやすくするためか、また、跡を保護するために?

赤い葉っぱの植物が植えられていました。

 

A群瓦窯

 

B群瓦窯

 

瓦窯の史跡をあとにして歩いていたら、

奈良時代の高僧・行基の院の跡がありました。

 

「行基は神亀2年(725年)に大山崎に至り、淀川に山崎橋を架橋。その後、橋を管理し行基の教えを広める道場として天平3年(731年)に山崎院を建立しました」

 

淀川と山崎の深いつながりに思いを馳せました。

 

 

大山崎歴史資料館に着きました。
こじんまりしてますが、山崎の歴史に触れられる充実した展示でした。

 

写真撮影が可能なものだけご紹介します。

秀吉の兜の複製。

 

 

 

天王山も含めて上空から俯瞰できる地図がありました。

 

天王山から眺めた景色の写真をもう一度のせます。

 

 

大山崎には油座があったとのこと。

「やがて(14世紀?)西日本の油販売を独占し、大山崎は繁栄の絶頂を迎えます」

 

中世の大山崎の油商人のレリーフ。油の入った天秤を担いでいるとのことです。

関西の油商人というと、江戸時代の文楽『女殺油地獄』を思い浮かべますが・・・、

ひとくちに油といっても、古い歴史があるんですね。

 

京都旅行初日の山崎散歩はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

ハイキングはきつかったです(京都から戻ってもう数日経ちますが、まだ筋肉痛です、笑)が、なかなか興味深かったです。

次回山崎を訪れることがあったら、ぜひともウイスキーの蒸留所へ行きたいです。