先日、中学生の娘の学校で公開授業がありました。
ASDグレーゾーンかつ反抗期の娘からは「社会の授業だけはOKだけど、あとは絶対に見に来ないでね。」と固く言われていました。
言われていましたが、でもやっぱり、どうせだから、ちょっと見たいですよね。
で、英語の授業をこっそり見せてもらおうと思って、教室の入り口のところに隠れていたら、
他の親御さんが、「入りましょう」と促してくださって、
結局、娘に来ているのがバレてしまったんですが、
開き直って、教室に入って見ることになりました。
英語の授業は、「好きな作家について」というテーマで、生徒が英語でプレゼンをするというものでした。
ええ、聞いてない!と、わたしのほうが緊張して、娘はどんな発表をするんだろう?とドキドキしてきました。
娘の順番が来て、スクリーンに映し出された作家と作品は、
茨木のり子さんの詩『自分の感受性くらい』でした。
娘は、英語で、茨木のり子さんの人物像などを紹介したあと、次のようなことを言いました。
「わたしはこの詩が好きです。
なぜなら、この詩人は、自分の感受性を自分で守りなさい、と、わたしを励ましてくれているからです。」
…because she encourages me to guard my sensibility by myself.
わたしは、一瞬、息が止まりました。
みなさま、ヘリコプターペアレントという言葉をご存じでしょうか。
それは、まさにわたしです。
娘を心配して、心配しすぎて、いつでもサポートできるようにという大義名分のもとに、
娘の上空を常にホバリングしている、わたしはヘリコプターマザーなのです。
でも、娘の発表を聞いて、
娘は自分の感受性を守っているんだ、
好きな詩を読んで助力を得ながら自分の人生を生きているんだ、
と、これまでの自分の過剰な心配と過剰な干渉をふりかえって、申し訳なさでいっぱいになりました。
特性があるから、なんとかすこしでも「普通に」過ごせるようにと、そればかり、これまでのわたしは娘に押し付けていました。
でも、娘は「普通に」どころか「自分の感受性くらい自分で守る」と宣言したのです。
授業が終わって、わたしは教室を出て電車には乗らずに二駅分歩きながら、
そういったことを考えていました。
わたしは、まちがっていました。
まだ間に合うと信じたい。
娘に謝りたいし、これからは、娘と対等な関係を築いていきたいです。
