※本稿は(1)から順にお読みください。

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4.犯人性立証について
仮に,犯罪構成要件実現が直接認定できず,間接証明による時には,確かに「密室」というのは大きな意味を持ち得ます。そして,ミステリーで問題とされる多くの場合には,まさにこのように「犯人性」に揺らぎがあるような場合でしょう。しかし,この場合であれ,「密室」たることを過度に重視すべきではありません。犯罪立証はあくまで,「どうやって行ったか」ではなく,「当該被疑者・被告人が,当該犯罪事実を実現したのか」に向けられたものであり,それ以上のものではないのです。
ただ,この点については,近時の東京高裁判決が歯止めをかけています。すなわち,「被告人が全ての実行行為を行ったのか,被告人が他者と共謀の上行ったか真偽不明」の場合には,「被告人に全ての実行行為の責任を負わせることはできない」としているのです(平成31年2月8日東京高裁判決)。しかし,この点は,あくまで実行行為を誰が行ったのかを立証しきれていないというものであって,仮に被告人が他者と共謀していた事実さえ立証できれば,「被告人か,それとも共犯か,あるいは両者が実行した」という程度の認定で足りることになります(平成13年4月11日最高裁決定参照)。


単独犯の場合であっても,ミステリーでの古典的な舞台設定であるクローズド・サークルの場合に,仮に生き残りが1人であれば,その殺害方法などが特定できなくとも,その者を犯人とすることに問題はないとするのが,現在の刑事実務には親和的でしょう。その意味で,本書で検察官が述べた「客観的な証拠に基づいて,被告人が犯人であることは明らかです。ならば『どう殺したのか?』などというのは,些末な問題にすぎません。『どうにかして殺した』のでしょう。……現場の不可能状況が,被告人の無罪を裏付ける根拠には絶対にならないはずです」というのは,「絶対に」という強弁が含まれてはいるものの,法的にはおおむね正しい主張だったと言わざるを得ません。無論,これは,被告人と犯罪を結び付ける上で必要な,死因や死亡時期の特定が不要なことをいうものではありません。犯罪死が明らかで,死亡時期≒犯行時期に被告人しか犯行ができなかったのであれば,仮にそこにどうやって至ったかは,「実行行為」以上に重要な問題ということにはなり得ません。冒頭掲げたように,アリバイ=不在証明は「そのときそこで実行行為を行いようがなかった」から意味があるのであり,密室という状況が,「その被疑者・被告人が当該実行行為を行えたかどうかが疑わしい」というような事態を引き起こさないのであれば,法的には何ら意味のないものといわざるを得ないのです。

5.まとめにかえて
以上のように見てきたとき,やはり本書の導入には疑問の余地が残ります。無論,「フィクション」ですから,現実の刑事裁判を所与の前提にすべきとまでは言えませんし,また本書の密室トリック自体を論難するものでもありません。しかし,「ポッキー」や「アマゾン」のように,限りなく現実に近づけるのであれば,法的知識についても同様に現実に近づけて欲しかったとの感想は拭えません。本書のように密室トリックをふんだんに使う理由として持ち出されたとしても(これについては,本書410ページ参照),それであれば,「過去の判例が変更された」と言えば足りたのであり,それでよかったのではないかという気がします。
(了)


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