多くの人にとって「心裡留保[シンリリュウホ]」という言葉は,耳慣れない言葉でしょう。心裡留保という文字から推測できる意味としては,「心の内を(何かから)留めておく」というものになるでしょう。法律の世界では「留保」という言葉はたまに使われます(例えば,行政法における「法律の留保」や,民法上の「異議の留保」など)が,ここでの留保の多くは「残しておく」とか,「効果を制限する」というニュアンスを持っています(なお,念のためですが,これらは「ニュアンス」であり,正確な「定義」や「換言」ではありません)。そうすると,「心裡留保」というのは,「心の裡[ウチ]に(何かを)残しておく」ということになりそうです。

 

心裡留保を定めた民法93条では(改正法によると1項で)「意思表示は,表意者がその真意ではないことを知ってしたときであっても,そのためにその効力を妨げられない。ただし,相手方がその意思表示が表意者の真意ではないことを知り,又は知ることができたときは,その意思表示は,無効とする。」と規定します。この「表意者がその真意ではないことを知ってした」意思表示のことを「心裡留保」というわけです。典型的な具体例としては,本当はそのつもりもないのに,「君が大学受験に合格したら,うちにあるグランドピアノをあげるよ」というものです。この「大学受験に合格したら,うちにあるグランドピアノをあげる」というのは,大学受験合格という条件付きの「贈与契約」です(民法549条参照)。したがって,(改正)民法93条1項によれば,そう言われた受験生が,それを信じて「ありがとうございます! がんばります!」などと言えば,(原則として)その「ピアノをあげる」といった人はピアノをあげなければならなくなります(もっとも,贈与契約については,民法550条も参照)。つまり,本心でなくても,口にしてしまえば,その履行が求められることになるのです。

 

もっとも,93条1項ただし書が示すように,相手方がその真意を知っている場合にまで法律効果を認めるわけではありません。つまり,上記の「大学に合格したらピアノをあげる」というのも,受験生側が「あのピアノ,めっちゃ大事にしてるし嘘だろ」と思いながら,「ありがとうございます!」といったところで,贈与契約は「無効」なのです。

その理由は2つの面から考えられます。まずは,「大学に合格したらピアノをあげる」という言葉が「信頼に値する」ことを前提に,相手方が表意者の真意に気づいた場合に例外的に無効化するという発想です。これが伝統的な理解です。しかし,見方を変えれば,当事者間では「ピアノをあげる」というのは,「とても大事にピアノをあげたくなるほどの祝い事」という意味づけが与えられている場合,その「当事者間の意味づけ」を越えて「訴求出来ない」という発想もあり得るわけです。

この2つの見方は,微妙にズレをもっています。伝統的な理解によれば,意思表示の「外面」に対しての信頼を基礎として,それを破壊した場合を原則として立て,その例外という構造をとります。他方で,後者は,むしろ,当事者の合意内容を究極まで追求し,その合意内容から外れた「訴求」を否定するという面で異なる理解をしています。つまり,前者は「表示されたもの」を中心に据え,後者は「内心」を中心に据えているのです(まさしく,意思表示における表示説vs意思説の問題です)。

確かに,昨今の「お手軽な関係」からすれば,前者に立つというのは筋がありますが,当事者間の信頼関係の醸成を促すという立場からすれば,後者の立場は十分に説得力があるようにみえます。


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