憲法32条は「何人も,裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」と規定しています。もし,この裁判を「主張の当否を裁判所に判断してもらう」ことだと理解すると,妙なことが起きます。例えば,科学的な理論の正否判断を裁判所に請求することは通常認められていません。それは,単純な話で,裁判所は法の専門家(集団)でこそあれ,その科学分野についての専門家ではなく,その理論の正否判断する能力を持っていません。そうだとすれば,科学的な理論の正否判断を裁判所に求め,それを「そんなことは裁判所は判断できない」ということは,上記の憲法32条に反するのではないかという問題に直面します。

 

元をいえば,司法権とは,国民の間の具体的な権利義務または法律関係に関する紛争について,法を宣言・適用することによって,その紛争を終局的に裁定する権能として説明されます(拙稿「裁判法の基礎」参照)。そうだとすれば,司法権の対象になるのは,このような具体的な権利義務や法律関係についての紛争に対してのみ意味を持つということになり,上記の科学的な理論の正否のようなものは,これに当たらないので,司法権が作用しないということになります。したがって,裁判を受ける権利というのは,あくまで「具体的な権利義務や法律関係についての紛争」について,裁判所の判断を得る権利だということになります。

 

しかし,この説明では,上記の疑問に対しては不十分な応答でしょう。「裁判所に判断して欲しいんだ」という要求(希望)に対する答えとしては,(とりわけ裁判所に真実解明を求めるような人達からすれば)説得力が欠けているように見えるのです(なお,裁判所と真実の解明については,拙稿「立法事実と司法事実」参照)。

そこで考えると,裁判所は「不適法却下(訴え却下)」という形で一応の判断(多くの場合には「判決」)を出しているのです。その意味では,ちゃんと裁判所は「応答」しているのであり,全く無言を突き通しているわけではありません。そして,「応答」した以上は,一応「裁判」は行われたのだという理解ができるのです。つまり,「この科学理論の正否を判断して欲しい」と請求した結果として,「いや,これは裁判所の権限ではない」と応えることそれ自体が裁判の結果だと考えることができるわけです。

 

そう考えると,たとえ「不適法却下」という判断が出たとしても,憲法32条の「裁判を受ける権利」が侵されたということはできないということになります。


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