「なぜカップ焼きそばは焼いていないのに『焼きそば』を名乗っているのか?」というのは、まぁ、誰しも(?)気づく疑問です。それについては、ある考察もありますが、今回は、これから「法解釈の手法」を学んでみましょう。

 

法解釈の手法には、次のような種類があるとされます。

①文理解釈:条文の文言を素直に理解する手法

②趣旨(目的的)解釈:その条文の置かれた趣旨・目的に配慮して条文を解釈する手法

③拡張解釈:その条文(文言)の意味を理解可能な範囲まで拡張させて解釈する手法

④縮小解釈:その条文(文言)の意味を特定の範囲に限定して解釈する手法

⑤反対解釈:その条文がある現象に適用されることを前提に、その逆の事象にはその条文は適用されないという解釈手法

⑥類推解釈:その条文がある現象に適用されることを前提に、それに類する現象にその条文を適用させる解釈手法(もっとも、類推適用の場合には、「類推適用して」と明言することがほとんどです)

法律の解釈は基本的にすべて②趣旨(目的的)解釈であり、その具体的手法がさまざまあるという方が適切です。

 

さて、では、「カップ焼きそば」という「現象」を「焼きそば」という「基準」をもとに説明してみましょう。

もし、①文理解釈を採れば、「焼きそば」は「焼いた(中華)そば」であるが、カップ焼きそばは焼いていないため、「焼きそば」を名乗れず、「カップ焼きそば」という名称は虚偽であるということになります。

次に、②の趣旨解釈をするために、「焼きそば」なるものを考えてみましょう。「焼きそばとは、中華麺を油を敷いた鉄板で野菜や肉などと共に炒め、ソースや塩などで味付けをしたものである。ソースなどと炒めることで、香りが立ち、また茹でた麺とは違った食感を楽しめる」というところまで来ると、それなりに厳密さが確保されているのではないかと思います。本稿では、一応、これを「焼きそば」という「基準」の趣旨を示すものだとしましょう。

④の縮小解釈は「焼きそば」のうち、例えば「塩焼きそば」を「焼きそば」から外すというような場面ですので、カップ焼きそばでは考えられないので、これを除外します。

⑤反対解釈だと、上記の「焼きそば」以外は「焼きそば」ではない以上、①同様、虚偽となります。

③の拡張解釈は簡単です。上記の趣旨から、「焼きそばの味付けは、通常のスープを伴った中華麺の味付けとは異なり、水気がなく、ソースなどだけで行われる。したがって、ソースなどで独特の風味がある以上、カップ焼きそばも『焼きそば』に含まれる」というものです。

⑥の類推解釈では、「焼きそばとは上記のような性質のものである。カップ焼きそばでも焼きそば同様、水気がなく、ソースなどで行われ、独特の風味を持つ。だが、『焼いた』風味を得られていないため、『焼きそば』そのものではない。ただし、上記の共通性を有しているため、『焼きそば』という言葉を『類推』させることができる」というものです(拡張解釈と類推解釈の違いについては、拙稿「罪刑法定主義の意義」も参照)。

 

私見としては、⑥が一番座りがいいように思います。さて、皆さんは何説に賛成しますか?

 


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