ときに金儲けに勤しむ人に向かって「守銭奴!」などと非難する人が少なからず存在します。これらの人をまた一部の揶揄する立場の人たちは彼らを「嫌儲」などと言います。
目線を変えると、本来投機的な取引であるはずのFX(外国為替証拠金取引:Foreign Exchange)や「ネットビジネス」と称し有体物の投機取引をさも優良取引(言い換えれば、手軽なお金稼ぎ)かのように唆す人たちがいます。

なぜ資本主義がこれほどまでに世界に拡がったのか。まさか「アメリカやイギリス、フランスなどが資本主義だから」などと答える人はいないでしょう。いわゆる共産主義・社会主義が失敗したのはフリーライダーの増殖と権力者の腐敗が大きな理由となっている面があります。他方、資本主義社会では権力ですら民主主義という名の「競争」に曝され、そのためにフリーライドとは別の「抜け駆け」が常に模索されています。そのひとつが「技術革新」です。つまり、共産主義・社会主義は「富を維持する」システムであったのに対し、資本主義は「富を生産する」システムであって、当然後者の方が社会的富・効用が増加するわけです。

この前提を抱え、始めに掲げた2つの別の場面を考えてみましょう。
まず、金儲けはそんなに非難され、あるいは卑しむべきものなのでしょうか。これについてはすでに述べたように、それ自体は決して非難すべきものではありません。金儲けという行為の意欲がなければ資本主義は動きません。しかし、上記のように、資本主義は富の生産システムとして、単に「お金を個々人に生み与える」のみではなく、「技術の生産」にも役立っているのです。
もしかすると、「金儲け」を非難する人たちは、「金儲け」自体ではなく、その「手段」が反倫理的であったりすることを捉え、その「目的」を低俗だとしてしまっているのかもしれません。しかしここには「目的と手段」の混乱があり説得力はない上、「手段」の問題は独占禁止法等の法規制や業界規制によりブレーキが存在しています。他方で、「金儲けそれ自体が低俗だ」という価値観があるのかもしれません。しかし、それは「価値観」にとどまり、他者の価値観を否定すること自体が相当性を欠いているように思います(憲法19条、同13条参照)。いずれにせよ、「金儲け」を非難する理由には足りないと考えられます。

では、ネットビジネスの慫慂はどうでしょうか。
これに関しては私はかなり問題があると考えています。それは投機取引の慫慂であって本来金融商品販売法の規制領域にかかっているのですが、それが「金融商品販売業者」(金販法2条3項)でないために、実際にはそこから漏れ落ちているだけの可能性があるのです。金販法もそうなのですが、それと共に消費者契約法も「断定的判断」を(行為規範としては)禁じています(金販法4条、消費者契約法4条1項2号参照)。しかし、両者とも「事業者規制」という側面をもつ消費者法ですので、「事業者」でなければならないのです(消費者法2条2項)。
しかし、だからといって、「業者じゃなければ断定的判断等の不当手段を使って誘い込んでいい」ということにはならないでしょう。現実問題としては、それで損害が発生すれば(過失相殺の可能性はありながらも)不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条)は可能であると思われます。これは何も投機取引にのみ妥当するのではなく、いわゆる「アフェリエイト」にも妥当します。
目線を変えると、投機取引などは結局「誰かが勝つ以上、誰かが負けている」という現実をどれだけ知らしめているかが問題です。資本主義が「富の生産」をしているとしても、投機取引は技術生産同様、かなり専門的な知識が要求されますし、何より欲だけでは破綻するのです。だからこそこの分野は極めて多くの規制法が存在しています(実は、ネズミ講のような連鎖販売取引は特定商取引法が規制しています;同法33条以下)(また拙稿「ネットビジネスとコンプライアンス」参照)。
それにもかかわらず、なぜ「私はこれだけ儲けました。あなたもやりませんか?」と言うのかです。ひとつの見立ては、「儲け」は一時期で、今はむしろ赤が嵩んで、別の素人という「カモ」を必要としている可能性や、ノウハウなどを売りつけるなどをしないと赤を補填できないということが考えられます。「楽に金儲けを始めよう」と思って手を付けた方がなぜ「手間のかかるブログの設置や情報の提供」をしようとしているのかと考えれば、ここには明らかな矛盾があります。仮に本物の善意だとしても、それを突き詰めれば、「個人の金儲け」を手伝うよりも、社会福祉に使うのが本来は一貫しています。それが出来ないということはやはり「不十分な稼ぎ」なのではないでしょうか。もちろんこの論理に乗らない奇特な方もいるかもしれませんが、経済的に成功した人がこのような経済的論理を無視し得るのかはやはり疑われ、その可能性は限りなく小さくなります。

資本主義の世界で生きる以上、やはり経済的論理になじむ必要があるし、馴染めない人たちをフォローするのは(限界はあれ)法の世界なのでしょう。


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