今日は少し「技術的な」お話、「法解釈」というものについてです。

とはいえ、私にこのお話をするのに何らかの「権威的なもの」は一切ないので、そんなに大それたことは言えないのですが…。あくまで私が○年もの間法律学に触れてきた経験での「私の理解」を示しておきたいと思います。その意味で、本稿は私の法律学の(各分野の)恩師から得たものに大きく拠っています(こんなことを言うと、恩師には「お前まだまだじゃないか」と言われそうですが)。


法解釈とは、法律を事案に適用する際に、その適用をより適切に行うために当該法律や条文(の文言)の意義を明らかにするものです。わかりやすい例としては、窃盗罪を定めた刑法235条にいう「窃取」とは「他人が占有する財物を、占有者の意思に反して自己または第三者の占有に移転させる行為」をいうとされています。このように文言の意義を明らかにしたりします。あるいは、刑法235条は「他人の財物を窃取した」場合に窃盗罪の成立すると定めているのですが、不可罰(無罪)な一時使用や毀棄罪(財物の効用を喪失させる犯罪)との区別から「不法領得の意思」(大正4年5月21日大審院判決によると「権利者を排除して、他人の物を自己の所有物として、その経済的用法に従い、利用し処分する意思」とされています)が不文の(書かれていない)要件として必要だと理解されています。このような(いろんな意味での)「法律の補充」が解釈論の仕事といえます。


このような「法解釈」はその法律全体の趣旨・目的、その条文の趣旨・位置づけ、文言の意義や趣旨、条文の書きぶり、他の条文や法制度との整合性等、さらには「実際の結論の妥当性」を勘案しながら行っていくことになります。したがって、条文だけを読めば事足れりとはならないところに「難しさ」があるのは確かです。しかし、それゆえの「面白さ」もあります。法律学に面白味を見出せる人というのはこういうところに面白さを感じられる人なのだと思います。


法律学は「言葉に対する知識・感性」や「論理」だけではなく、「社会人としてのバランス感覚」も要求されるといえます(ホントはさらに歴史や外国、科学に関する知識等も必要なのですが…)。本稿が(たとえ独学でも)法律学の門を叩くきっかけになるようなことがあれば、望外の喜びです。