母を理由に生きてきた… | 前向きエスコート人 JURI

前向きエスコート人 JURI

手から伝わるメッセージと、手相観からのアプローチより前向きにエスコートさせていただきます。

笑いは最強のチカラ、人生は楽しんだもん勝ち‼️仏の説かれる道へ日々精進🎶 




やっと。

ブログに書けるまでになりました。


3月3日(日) 13:13    88歳

私の母が永眠いたしました。




まさに、吸う息・吐く息…どちらかが止まった瞬間を兄妹4人で見届けることができました。



これこそが奇跡でした。



決して仲良しではない兄妹です。

普段から顔を合わせるのも拒んでいましたしね。




あの日から…

まだ1ヶ月と少し。




私の中では、この時間の流れが理解できてません。ものすごく前の気もするし、でも気持ちはまだまだ折り合いがついてない…気もします。




実家で荷物の整理をしています。

これが本当に大変でして。

いわゆるゴミ屋敷でございます。




生前は掃除を拒み続けてきたので、凄まじい状態を1人切なく、たまには涙しながら片付けています。



私の仕事など、今後の事も含めてかなり悩んでいる中での母の死。落ちるところまで落ちる…。

それが必要だったとのことですね。




前回の「じゅり庵のお話会」で、少し話したのですが、時間とともに少しわかってきました。




私は…母を理由に生きてきたんだな…。




私は母に育ててもらいました。

借金を残していなくなった父。

その後、母が苦労してなに不自由なく育ててくれました。なに不自由なく…です。


私は「苦労して育ててもらった命」という意識がずーっとありました。

なので、「絶対に母より先には逝けない」



それがいつしか私の生きる糧になっていたのです。とても良き話しに聞こえますが、そうでは無かった。




私は今まで、それを言い訳にして生きてきました。まるで、今の自分はとても幸せで大満足みたいに思っていましたが、浅かったですね。




母がいなくなった「今」。

あなたはどう生きていきますか❓

何をやって生きますか❓

そもそも…生きていくのですか❓



それを問われています。

過去世から繰り返されている「魂」の癖です。

生きるということ、いのちの重みです。



今までは、生きてる理由がありました。

それが無くなった今、

私はどうやって生きていくのか…。



答えはまだ模索中です。

だから、「今」が大事なんです。

考えて考えて考えて。



ここを突破しないと

来世も変わらないね、きっと(笑)




母が88歳まで頑張ってくれたおかげで、少しだけ学び成長した「私」がいます。

今だから知りえた「機縁」です。



ありがとうね…



乗り越えていきますね。