2024年2月10日

新しい職場(ディサービスでのナース)新年会に参加した。

ディサービスのナース仕事を二日間見習いして…日本料理店での豪華な懐石料理の席に着いた。(会費制だと思い込んでいたら…全員が組織からの招待だった。)

女性が多くて賑やかで楽しかった。

社長の挨拶から始まり…終りの挨拶は社長の妻(専務)だった。

車で行っていたので烏龍茶を飲んでいたが…飲める人達はビールやお酒など好きな様に飲んでいた。

新年会が終わった時、若い女性が急に意識朦朧、意識混濁して嘔吐後にぐったりしていた。

椅子から畳へと皆で抱えて横に臥床して様子みていたが…全身状態が思わしくなく…私を含めた三人のナース判断で救急車を依頼した。

直ぐに救急車が来て、救急隊3名が日本料理店の会場に担架を持って入ってきた。

女性を担架に移動するとき、嘔吐がみられた。嘔吐が治まらないと移動出来ないと救急隊も待って対処した。

夜の21時過ぎ…何とか救急車に運ばれたが…受け入れ先の病院が決まらず、何度も救急隊が電話していた。

急性アルコール中毒は命取りに成る場合もある。一刻も早く、病院で点滴など処置が必要だった…。

救急車は早く到着しても受け入れ病院が見つからないと救急車は発車出来なくて日本料理店の前に待機したまま…。

きっと、これが日本の現状なのだと感じた。夜の救急患者は、医師もスタッフも手薄に成っていて、通常の業務だけでも多忙でハードである。高齢社会で認知症のある人達も入院している。転倒予防のセンサーマットがナースコールに連動して鳴りっぱなし状態の時もある。



長い病院勤務での外来(救急室も含めて)や病棟の業務は想像出来る。病棟に夜勤中は、遠くの方の救急車のサイレンには敏感だった。救急車サイレンが病院に近づくと…わぁ、これからが大変だ‼️と思っていた。その時も、今にも呼吸が止まり心肺停止状態に成りそうな人も同時に看ながらプロだとは言え…職場はいつも戦場だった。



ナース仕事は他の人達から見れば良い仕事、資格もあって…など思われているが、それは全く体験してない人達が言う言葉でもあった。

大抵の現場ナースは仕事の厳しさが骨身に染み付いている。
良い仕事…など、簡単には言えない苦しさや辛さがある。

どのような大雪や嵐の日も、まず、必ず出勤しないと同僚達に迷惑かけることになる。

それでも最近はコロナ禍で随分改善した様に感じられる。以前は体長悪かったら寧ろ出勤して勤務先病院で診察を勧められた。コロナ禍の影響で体調不調時の出勤は緩和されて良かったと思う。



何十年も、そのような仕事で心身は鍛えられるし根性も付くが

圧迫感や重圧感も同時に感じらる。

ストレスでメンタルヘルスに成ったり長期間の診断書で休業する人達もいた。




それでもナース止めないのは、それぞれの夢や目的、生き甲斐意識もあるのだと思える。



『白衣の天使』と言う例えは真逆の仕事だと感じられるが…それ故、人の命を預かる『白衣の天使』には違いないと思う。

私の場合は心身が強く生まれてきたのでナース向きだった。何よりも人と接する仕事が好きなので…。職業に呼ばれた(コーリング)と今でも思っている。