無限とは何か?:「I am」であり「振動」
2025年3月30日 沖縄での日曜日の集いの場での
マイトレーヤ・ラエル のお話です:
振動、それこそが私たちです。
無限の中に存在するすべてのものは振動です。
無限は振動であり、宇宙は振動であり、私たちのDNAも振動です。
人々は昔、原子が最も小さなものだと考えていました。
「アトモス(A-tomos)」という言葉には、「それ以上切り分けることのできないもの」という意味があります。
人々は、それが宇宙で最も小さなものだと確信していました。
だからこそ、それを「アトモス」と呼んだのです。
今では、それが間違いだったことが分かっています。
「アトモス」などというものはありません。
それ以上小さな粒子に分けることのできないものなど、何もないのです。
その後、人々は原子の内部に電子や中性子、そして多くの「トロン」があることを発見しました。
そして、さらに小さなものが発見されるたびに、科学者たちはこう言うのです……「これが最小です。これより小さいものはあり得ません!」と。(間違いです!)最小とされるものが見つかるたびに、別の科学者たちが、それよりさらに小さなものを発見するのです。
今では、非常に高度な測定機器を使って、無限に小さな世界を探究することができます。
無限に大きい世界よりも、無限に小さい世界のほうが観察しやすいのです。
それが無限です。
しかし、無限に大きいほうについては、少し前まで科学者たちは宇宙の大きさを(大きさを示しながら)このくらいだと考えていました。
それから数年後には、(さらに大きく示しながら)このくらいになりました。
さらに数年すると、(もっと大きく示しながら)今度はこのくらいになりました。
しかし、宇宙そのものが変わったわけではありません!
最初からもっと大きかったわけです。
何より大きかったのでしょうか? 何よりも、です!
無限は無限です。ですから、無限を測ることはできません。
無限とはまさに、私たちには測ることのできないものなのです。
彼らは、宇宙がどれほど大きいのかを見るために、多くの強力な望遠鏡を作りました。
そして今では、(大きさを示しながら)このくらいです。
それは、私たちが「そこまでの大きさ」しか見ることができないからです。
科学者にとっての宇宙の大きさとは、自分たちの測定できる範囲というわけです。
しかし、それを測ることはできません。
この部屋にアインシュタインを100万人集めたとしても、誰にも無限を測ることはできません。
無限は測定不可能なのです。だからこそ無限なわけです。
そしてその対極にあるのが、人間の愚かさです。
宇宙を測ろうとすること、それ自体が愚かなのです。
まったく愚かなことです! 「トッテモ バカ!」
無限小の世界でも、同じことが言えます。
彼らは「最小の」粒子を見つけようとしますが、そんなものはありません。ないのです!
しかし、最も進んだ科学者であっても、人間は限られた寿命しか持たないため、測る必要があるのです。測ることのできないものを、測ろうとするのです。
彼らはそれを試み続け、決してやめません。
そして今、彼らは無限に小さい世界にまで到達し、またしてもそれを見ます。
最小のものを見つけたと思い込み、さらには、自分たちが「最小の」粒子だと信じている、この無限に小さな粒子に名前まで付けました。また同じことです。
学ばないのでしょうか? 「ああ、これだ、見つけた!」という具合です。
そして彼らはそれを、実におかしなことに、「神の粒子」と呼びます。
「神が宇宙を創造するために使った最小の粒子」というわけです。
これは愚かさのギネスブックものです。
物理的な実験と論理的な科学的説明によって、すべてを説明するはずの科学者たちが、最小の粒子を見つけて、それを「神の粒子」と呼ぶのです。
まあ、その意味では彼らは正しいとも言えます。
神など存在しません! ですから、「神の粒子」も存在しないのです。
まさに無限に愚かな話です!
そして人々は、無限大についても、同じような愚かな考え方をします。
宇宙は年々どんどん大きくなっている、と考えるのです……(違います!)……そうではありません!
別の科学者たちは、宇宙は膨張しているという理論を作り出しました。
ほら、(大きさを示しながら)宇宙はこのくらいだったのが、(さらに大きく示しながら)今ではこのくらいになった、これが膨張だ、というわけです。……(違います!)……以前はただ見えなかっただけで、大きさは変わっていません。
そして今、彼らはある種の袋小路に入り込んでしまったので、こう言っています……「私たちは、ほかにも宇宙が存在することを理解し始めている」と。
それはさらに愚かなことです!
自分たちが使っている「無限」という言葉の意味すら学んでいないのです。無限は一つです! 無限は一つなのです! 分割することはできません。
もし私が無限を取って、その半分をあなたにあげたとしても、それは依然として無限です。そこで彼らは「マルチバース(多元宇宙)」と言うのです。わあ! これは「神の粒子」と同じです。「神の粒子」と「マルチバース」です。
言葉の意味はとても重要です。私たちラエリアンは、自分たちの宗教の根源を知っています。「エロヒム」は「神」という意味ではありません。
しかし、誰もがそうだと信じています。
「エロヒム」という言葉の意味は、「天空から飛来して来た人々」です。明白です!
ヘブライ語にそう書かれているのです。
もし一人だけなら、「エロハ」と呼ばれるはずです。明白です!
ですから私たちは、言葉がどれほど誤解され得るかを知っています。
それどころか、どれほど意味を歪められ得るかを知っているのです。
無限という概念は、「一つ」です。
複数形のエロヒム……「エロヒム」という言葉は複数形ですが、無限は一つです。
私たちは、この奇妙で愚かな概念を知っています。
「UNI」、つまり「uni-verse(ユニバース)」の「UNI」は、「一つ」という意味です。「一つ」とは、無限ということです。
無限は一つです。半分の無限などありません。そうではなく、一つなのです!
宇宙とは「すべて」です。
「あちら側、こちら側、そちら側」というものではなく、「すべて」なのです。
そして彼らは、別の星々や銀河の集団を発見すると、「これは別の宇宙だ」と言います。
「別の宇宙」という言葉そのものが、これ以上ないほど愚かです。
宇宙とは、私たちが知っているすべて、そして、私たちが知らないすべてです。
どこか非常に遠い場所で何十億もの新しい銀河を発見したとしても、それは依然として私たちの宇宙です。
宇宙とは「一つ」という意味です。
無限とは「一つ」という意味です。
実際、「宇宙」と「無限」は同義語なのです。
それは、私たちが知っているものと、まだ知らないもの、その両方だと理解することがとても重要です。
銀河や銀河群は、私たちが知っているものも、これから発見するものも、無限の数だけ存在します。単純なことです!
私の指の中には小さな惑星があり、惑星や恒星の集団があります。
それは一つの宇宙です。
それは私たちの宇宙とは違うのでしょうか? 同じです。なぜなら、それは「一つ」だからです! だからこそ、指はとても重要なのです。科学者たちには、(笑いを誘うために中指を立てながら)もしかするとこの指を使うべきかもしれません。私の指の中、この先端のまさにここで、とても小さな科学者たちが、ほかの指は別の宇宙だと言っているわけです。
「私たちはマルチバースの中にいる」と。
しかし、私たちの手は一つです! これが一つの宇宙です。
おお、こちらもそうです!(もう一方の手を示しながら)この指からこの指へ移動しても、依然として同じ宇宙の中にいます。そして、地球からエロヒムの指の一つまで旅したとしても……彼らにも指がありますからね……それでも依然として宇宙なのです。宇宙を分けることはできません。
しかし、私たちの知識によって、それまで知らなかった部分を発見することはあり得ます。けれども、私たちが知らなかったからといって、それが存在していなかったわけではありません。こうした科学者たちは、「自分たちが知っているものだけが存在するのだ」と考えるほど愚かなのです。私たちが知らないものも存在するのです!
(自身の体のさまざまな部分を示しながら)「ここが一つの宇宙だ。おお! ここにももっとある」という具合に、私はあらゆるところを探究できます。
(別の人の体を示しながら)「おお、別の宇宙がある!」
「おお、エロヒムの惑星は別の宇宙だ」 違います! 「UNI-verse(ユニバース)」です。「united(ユナイテッド)」と同じで、語源は同じです。「UNI」は「一つ」を意味するのです。
ですから、無限小も、無限大も、無限なのです。
無限とは、終わりがないという意味です。
私の無限とあなたの無限は同じです。私たちは一つなのです。
だからこそ、瞑想の中でそれを繰り返すわけです。
私の歌を覚えていますか? 「私たちは一つ」……これが真実です。
彼らは、新しいテクノロジーを使って無限小の世界を探究しています。
では、無限に小さな世界のどのくらいを知っているのでしょうか? 50%? 90%? ……(違います!)……0%です! なぜなら、無限は探究し尽くすことができず、大きさを持たないからです。
無限を測ることはできません。半分をあなたに、半分を私に、ということもできません。
無限は測ることができないので、探究し尽くすこともできません。
それは科学者たちにとって非常に難しいことです。
なぜなら、彼らは発見し、理解し、探究したいからです。
無限は理解することも、探究し尽くすことも、測ることもできません。測定不能なのです。だからこそ「無限」と呼ばれるのです。
無限=終わりがない、ということです。
これは科学者たちにとって、非常に難しい謙虚さの教訓をもたらします。
しかし、ごくごく少数の、本当に、本当に、本当にトップレベルの科学者たちだけが、それに気づき始めています。彼らは気づき始め、こう言っています……「私たちは何も分かっていない!」と。小さな会社で働いている小物の科学者たちは、「ああ、私たちはすべてを知っている!」と言います。彼らは道化師に過ぎません。
私たちは何も分かっていません。なぜなら、無限を理解することは不可能だからです。
しかし、そこにこそエロヒムのメッセージの素晴らしい部分があります。
私たちは無限を理解することはできませんが、感じることはできるのです!
そこから瞑想が生まれます。
私たちは無限を感じることができるのです。
無限を理解しようとすれば、精神病院に行くことになりますが、それを感じようとすれば、ブッダになります。
それはあなたの内側にあり、あなたはその中にいて、在るのです!
(you are!)「われ在り(I am)」と言えるのです。まさにそれです!
無限を説明することはできません。
しかし、「われ在り(I am)」と言うとき、それを感じることができるのです。
「無限とは何ですか?」と、人々はあなたに尋ねるかもしれません。
答えは何でしょうか? 「私です(I am)」……それだけです。
それを別の言葉で説明しようとすれば……(間違いです)……あなたの脳はゴキブリの脳の10%ほどの大きさになってしまいます。
そうではなく、ブッダのように「私です(I am)」と言えばよいのです。
「マイトレーヤ、無限とは何ですか?」……「私です(I am)」
そして私たちは再びここに戻ってきます……それは振動です。
ただの振動です。
現代の新しいテクノロジーや、極小のものを見る顕微鏡を用いれば、粒子の中の粒子の、そのまた粒子を見ることができます。
可能なかぎり最小の、最小の、最小の粒子に焦点を合わせることができます。
そこで彼らが見るのは、皆さんが想像するような原子……ひとつの球があり、その周りを二つの球が回っているようなもの……ではありません。
違います、違います、違います!
私たちが思い描いている、球でできた原子という美しいイメージは、実際には存在しません。それは振動なのです。
彼らは球のはっきりした像を得ることはできません。
球など存在しないのです。
神も存在しなければ、球も存在しません。
球を信じてはいけません!
球についても、私たちは無神論者です。
それはただの振動なのです。
そして彼らには、この振動の中に何があるのかが分かりません。
トップ中のトップの科学者たちは、「私たちには分かりません」と言い、さらにこう付け加えます……「分かりたいとも思いません」と。なぜなら、それは理解できないからです。
無限に小さい世界を見て、存在もしない最小の粒子を見たとき、何が見えるでしょうか?
振動です! なぜなら、最小の粒子など存在しないからです。
トップの科学者たちはこう言います……「私たちには分かりませんし、分かりたいとも思いません。なぜなら、もし分かって、この小さな粒子よりさらに小さな粒子を見つけたとしても、それはまた別の何かでできていて、その何かもまた別の何かでできていて、さらにまた別の何かでできていて……ということになるからです」と。それが無限です!
無限を完全に探究することはできません。なぜなら、それは無限だからです。
しかし、感じることはできます。そして、それを感じれば、あなたは永遠に幸せです。
しかし、理解しようとすれば、あなたは永遠に病んでしまいます。
ですから、非常に興味深いのは、トップの科学者たちが気づいたことです。
【1】宇宙は無限であり、振動である。
【2】それを理解し、測ろうとするのは愚かなことである。単純です!
しかし、本来測ることのできないものを測ることに本当に取り憑かれてしまえば、もう眠れなくなり、精神病院が近づいてきます。
精神病院にいる狂った人たちについて皆さんが理解しなければならないことがあります。
精神病院にいる狂った人たちは、とても知的で、天才なのですが、病んでいて、眠れないのです。
彼らが狂っていることを示す第一の証拠は、もう眠らなくなることです。
なぜなら、彼らの脳が無限を理解しようとし始めるからです。
しかし、それは不可能なことです。私にもできません。
ヤーウェにもできません。エロヒムにもできないのです。
しかしエロヒムは、それを感じることを私たちに教えて下さっています。
そして、それを感じるとき、あなたになるのです!(you are!)
あなたは幸せで、よく眠ることができます。
なぜなら、「無限とは何か?」という愚かな問いへの答えを探そうとしなくて済むからです。
……「私です(I am)」……答えはそれです。単純です。
そして、よく眠れることでしょう。
私たちがしているこの説明でさえ、どれほど素晴らしい説明であっても、危険です。皆さん、普通の頭脳を持つ人たちに話し始めて、「あなたの指の中には銀河や星々があります」と言うと、彼らはあなたを見る目を変え始めます。彼らにはできないのです。できないのに、やろうとします。私たちはやろうとはしません。
なぜなら、できないからです。
私たちは、自分たちにはできないと知っています。しかし、感じることはできます。
私たちは在るのです(we are)。
振動を……振動を感じることができます。
皆さんが受け取っている太陽の光とは何でしょうか?
皆さんは太陽が好きですよね。それは振動です!
太陽とは何でしょうか?
一種の原子爆弾、原子力発電所のようなものです。
私たちはそれを肌で感じることができます。
「ああ、福島には行きたくない。危険な放射線があるから」……しかし、太陽の下にいるたびに、あなたは核放射線を浴びているわけです。
振動は至るところにあります。
私のキッチンでは、食事をする場所に花崗岩が使われていて、そこから放射線が出ています。福島の事故のあと、私たちは放射線を測る機械を持っていますが、テーブルの上では……(測定器の警報が鳴るほど高い値を示します)。
バナナは好きですか? おいしいですよね?
バナナは放射線でいっぱいです!
ですから、あなたのバナナも含め、すべては振動なのです。
科学者たちが今になって気づき始めているもう一つのことがあります。
それは、私たちは何にも触れることができない、ということです。
なぜなら、原子は絶え間ない運動と振動の中で動き続けているからです。
もし私が誰かに触れようとしても、その人にも振動があり、原子が動いています。
私はその人に触れているという錯覚を抱きますが、実際には触れていません。
他にも、もっと触れたい部分はありますが……すべては振動です。
太陽も、月も、地球もです。地球にも振動があります。
私たちは少しずつ理解し始めていますが、まだ分かってはいません。
すべては振動であり、その中にはあなたを殺すものもあれば、あなたを幸せにするものもあります。
あなたはどちらを選びますか?
最高の振動とは何でしょうか? 愛です! 愛もまた振動なのです。
日本に、水を研究した科学者がいました。いくつかの異なるコップに水を入れ、あるグループの人たちは毎日、そのうちの一つのコップに向かって、水に「お前なんか大嫌いだ! 大嫌いだ!」と言いました。そして別のグループは、別のコップの水に向かって「愛しているよ!」と言いました。そして一定の時間が経ったあと、彼がそれぞれのコップを測定すると、水は違っていたのです。私たちの愛の振動が水を変えるわけです。
皆さんも知っているかもしれませんが、家で植物を愛し、植物に愛を贈ると、その植物は花を咲かせます。「ああ、私の植物よ、愛しているよ」と言うと、花を咲かせるのです。
馬鹿げているように思えるかもしれませんが、実際に効果があります。
私がフランスにいた頃、美しい庭を持っていて、あらゆる種類の野菜を育てていました。
特にジャガイモです。私は毎日、ギターを持って庭へ行き、ジャガイモのために歌っていました。とてもおかしいでしょう?
収穫の時期になると、ジャガイモ一個が2キロもありました! 一個でですよ! 一人では食べきれないほどです。一個のジャガイモで! 毎日、私が彼らのために歌っていたからです。
つまり、振動なのです。
私たちが瞑想の際に用いる声の振動、そして声だけでなく、音楽やダンスもそうです。
ダンスもまた振動なのです。
すべては振動であり、その中でも何よりも大切なのは「愛」です! 覚えておいてください。無限の振動を感じるとき、あなたは「在る」のです(you are)!
「生命の振動」を楽しんでください。
I Love Us
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