Rael Maitreya
Nobby Raelian訳
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無限と永遠の一秒一秒を楽しみましょう
2025年10月26日
マイトレーヤ・ラエル
無限の中を旅してみたいですか? 少しだけ? いいでしょう!
「私たちは、自らを意識するようになりつつある無限である」という『メッセージ』を皆さんの誰もが知っていますね。これは、宇宙で最も崇高な哲学です。私たちは、自らを意識しつつある無限なのです。
朝、目覚めた瞬間から、それを感じてください。深く感じてください。
皆さん一人ひとりが無限の中心です。しかし、無限には定義上、中心がありません。
それでも、無限を感じるとき、あなたはその中心になります。
そして、100万人が無限を感じれば、無限には100万の中心があることになります!
地球上で、どれほどの人が無限を感じているでしょうか?
ラエリアン、一部の仏教徒、さまざまな伝統に属する少数の人々……それだけでしょうか? しかし、空を見上げるとき、ほかの惑星にも無限を感じている存在がどれほどいるかを感じてください。
私たちは、無限の宇宙の中で孤独ではありません。彼らを感じてください!
空を見る必要さえありません。自分の指を見てください。
あなたの指の中にも、無限を感じている人々がいます。私たちは無限の海に浸っているのです。無限はあらゆるところにあります。
私は今朝、一流の科学者たちが無限について議論し、討論しているのを見ていました。
彼らは何時間もかけて、私たちはどこから来たのか、そしてなぜここにいるのかを理解しようとしていました。
最後に、その中でも最も進んだ科学者の一人がこう言いました。
「すべてはビッグバンから始まった。しかし、ビッグバンはどこで起きたのか?
そして、その前には何が存在していたのか?」と。
私はモニターの前で、笑いながら涙を流していました。最も優秀な天体物理学者たちでありながらも、結局は自分たちの問いに囚われてしまうのです。彼らはいまだに疑念を抱いており……「もしビッグバンがあったのなら、それはどこで起きたのか」と考えているのです。どこかで起きたはずだと……。しかし、その周囲には何があったのでしょうか?
別の科学者は「何もなかった」と言います。つまり、何もないところで何かが起きたというのです。とても興味深いですね!
では、それ以前には何が存在していたのでしょうか?
答えは同じで、「何もなかった」です。
つまり、無が何かを創り出したわけです。
しかし、別の科学者はこう言いました。「科学の基本は、無からは何も生じないということだ」と。彼らは、自分たち自身の論理によって追い詰められているのです。
どう考えても、その前には何かが存在していなければならず、それはどこかで起きなければなりません。その「何か」こそが、『無限』なのです。
ラエリアンである皆さんは、エロヒムの『メッセージ』のおかげで、この問いに何の問題も抱いていません。(マイトレーヤはシンボルを示しながら)これが答えです。
しかし、いわゆる「合理的な科学者」たちは、それに答えることができません。
彼らは、合理的で、唯物論的で、因果律に基づこうとしています。
それにもかかわらず、「無からは何も生じず、すべてはどこかで起きなければならない」と認めながら、なおも、すべては無から生じたと主張しているのです。
彼らは追い詰められ、話し続け、さらに話し続け、説明しようとします……。
量子物理学における新たな発見のおかげで、彼らは、私が数週間前に皆さんに教えたことと似た結論にたどり着きました。彼らは今や、「すべては振動を通じてつながっている」、そして「宇宙の振動がビッグバンを生み出した」と言っています。興味深いですね? そして、こう付け加えています。「この振動が何なのかは分からない……重力と関係しているに違いない」と。
しかし、最近、誰が「重力子」について話していたでしょうか? つまり、彼らによれば、重力は他の何よりも先に存在していたことになるわけです……物質が存在しないのに、重力だけがあるということです!
しかし、それを生み出す何かがなければ、重力は存在し得ません。
地球が存在するからこそ、地球には重力があるのです。
リンゴが落ちるのは、地球に引き寄せられるからです。月が地球の周りを回っているのは、重力によって引きつけられているからです。私たちも太陽も、重力によって銀河の中を巡っています。
そんな具合に彼らは、ビッグバンは重力と関係していたのだと語っているわけです。そしてまたしても、彼らは追い詰められています……無によって生み出された重力です! 興味深いですね! 私はティッシュが必要になりました。あまりにも笑いすぎたからです。あまりにも愚かです。本当に(日本語で)「バカ」です。「『無』は、『無』が生み出した重力を使って、何かを創り出した」……これが、地球上で最高峰の科学者たちによる考察なのです!
しかし、皆さんは彼らよりも進んでいます。皆さんは、空間と時間における「無限」というものを理解しています。
ビッグバンの前には何が存在していたのかと問うとき、皆さんは「時間における無限」とつながっているのです。始まりが存在することはあり得ません。存在するすべてのものは、物質またはエネルギーとして常に存在してきました。そして、これからも常に存在し続けます。たとえエロヒムの惑星へ行くことがなくとも、私たちは永遠です。皆さんの身体を構成している物質は、永遠に存在し続けるのです。
そのことを感じてください。皆さんは永遠であり、無限についての知識を表現しているのです。これを理解するために、高度な科学教育は必要ありません。一流大学の「偉大」な科学者たちは、最終的に袋小路に追い込まれています。
しかし皆さんは、エロヒムの『メッセージ』のおかげで、どんな袋小路にも追い込まれていません。無限には袋小路などありません。無限は、ただ在るのです。(Infinity is.)
そして、ブッダに投げかけられた「あなたは何者ですか?」という問いに戻ると、ブッダは「私です(I am.)」と答えました。
無限とは何でしょうか? それです(It is.)。
意識的な脳を使って無限を説明しようとすれば、自分自身を袋小路に追い込むことになります。決して無限を説明しようとしてはいけません。
無限とは何でしょうか? それです(It is)。
あなたは在ります(You are.)。皆さんは在りますか(Are you)? 私たちは在ります(We are.)。しかし、それを説明することはできません。
愛とは何でしょうか? 同じです。それです(It is)。
愛を……本当の愛を説明することはできません。ホルモンなら説明できます……身体的な魅力や化学反応です。私たちは美しい胸を見れば反応し、女の子たちはナイアガラの滝のようになります。それは生物学であって、愛ではありません。
愛とは、一体であるという感覚……「私」が消えることです。
ですから私は、「あなたを愛しています(I love you.)」と言うのが好きではありません。
それは分離を表しているからです。巨大なエゴを持つ「私」が、巨大なエゴを持つ「あなた」を愛する、ということです。
私はむしろ、「私は私たちを愛しています(I love us.)」と言う方が好きです。
私たちは無限とひとつです。「私たちは無限とひとつ、私たちは永遠とひとつ」……それが歌であり、その中に、すべてが込められています。愛とは、ほかの人間と……地球上やほかの惑星にいる存在たちと……自分の手の中にいる人々と……動物や植物や木々と……「ひとつである」という感覚です。私たちはひとつなのです。
この一体感こそが愛です。この次元の愛を抱いているとき、皆さんはまるで空を飛んでいるかのような状態になり、孤独や憂鬱を感じることなどあり得なくなります
……なぜなら、皆さんは無限そのものだからです。朝、目覚めた瞬間からそれを感じ、一日中その感覚を保ってください。
誰かが「瞑想をしてきました」と言うのを聞くと、私はいつも少し違和感を覚えます。
どのくらいの時間したというのでしょう?
本当の瞑想とは、決して始まることも終わることもありません。
始めて終えるランニングや運動のようなものではありません。
もし瞑想状態にいるのなら、常に瞑想状態にいるのです。
それは決して、始まることも、終わることもありません。
本当の瞑想とは無限であり、「われ在り(I am.)」です。
「これから5分間、瞑想をします」と言うことはできません。
たとえ1分でも、1秒でも、時間を区切った瞬間に、自分を狭い枠の中に閉じ込め、無限とのつながりを断ってしまうからです。
言うとすれば、「今から瞑想が始まる(Now, meditation begins.)」です。そして、その瞑想に終わりはありません。そのとき、皆さんはブッダになるのです。
仏陀は決して、「さあ、これから瞑想をしましょう」とは言いませんでした。
そういうものではなく、(瞑想とは)「ただ在ること(it is)」なのです。
皆さん自身が愛であり、瞑想そのものであるなら、それが途切れることは決してないのです。
何に遭遇しようとも……悪い人々、事故、さらには核爆弾でさえ……皆さんは瞑想の中にとどまります。原子爆弾が広島に投下されたとき、人々は何をしていたでしょうか?
あるいは、皆さんが地面に墜落しようとしている飛行機の中にいるとしたら……私はこの体験が大好きです。人生の多くの時間を飛行機の中で過ごしてきました。乱気流に遭うと、人々の顔に恐怖が浮かぶのが見えます。死ぬことを恐れているのです。
しかし、瞑想状態でいて、「われ在り」の状態ならば、恐怖はありません。
なぜ恐れるのでしょうか? 恐れることで気分が良くなるのでしょうか?
皆さんは人生で、どれほど多くの恐怖を抱えてきましたか? リストにしてみてください……かなり長くなるかもしれません。あるいは、もし恐怖がないのであれば、皆さんは「われ在り」のブッダになります。
瞑想状態でいれば、爆弾が落ちてくるのを見ても、逃げる必要はないと分かります。
いずれにしても死ぬのです。「在る」ことのできない人々は、走り回り、叫ぶでしょう。
以前、飛行機があまりにも激しく揺れ、翼が鳥のように動いていたことを覚えています。
私はパートナーに、「もし翼が突然折れたら、どうする?」と尋ねました。数分以内に死ぬと分かる状況です。皆さんならどうしますか? 叫べば何かの役に立つでしょうか? まったく役に立ちません。それは純粋な感情……恐怖というひどい感情……にすぎず、何かを変えることはありません。叫んでも叫ばなくても、飛行機は墜落するのです。では、なぜ叫ぶのでしょうか? 興味深いですね! 逃げようとして飛行機の前方へ走ることも、後方へ走ることもできますが、いずれにしても墜落するのです。
広島の原子爆弾も同じです。皆さんの人生も同じです。
死についても同じです。人々は死をとても恐れていますが、死は誰にでも訪れます……早い人もいれば、遅い人もいます。瞑想状態でいるなら、死が訪れることを恐れるでしょうか? それとも、まだ生きているわずかな時間を楽しむでしょうか? どちらにしても、起こることは同じです。「死にたくない」と言って恐れていても、瞑想状態でいても、心臓は同じように止まり、1週間もすれば腐敗します。
死は誰にでも訪れるのに、なぜ恐れるのでしょうか? 生まれた瞬間から死ぬための準備をしているのだと理解すると、自分が生きていることがどれほど幸運かを……そして死ねることがどれほど幸運かを……感じるのは、興味深く、深い気づきをもたらす実践になります。なぜなら、もし死ぬことがなければ、私たちはこれほどまでに「生」を大切にすることはないからです。
ですから、一秒一秒を楽しんでください……何の一秒一秒でしょうか? 無限と永遠の一秒一秒です。
誕生と死……そこに違いはありません。いずれにしても、私たちは在ります。楽しみ、踊り、歌う方が良いです……そのために私たちは生きているのです。私たちは、踊り、笑い、冗談を言い、自慰をする無限です。無限が自慰をしているのです。
そのことを感じると、皆さんの人生は歓びに満ちた「虹」になります。
