Rael Maitreya
Nobby Raelian
訳
最も優れた者たちは不可欠なのでしょうか? 偶像とは何でしょうか?
マイトレーヤ・ラエル (15年前)
このムーブメントは、皆さんがいなくても問題なく成り立ちます。皆さん一人ひとりは、今すぐ去ることもできます。私たちは共にいることで強くなりますが、誰一人として不可欠な存在ではありません。
「もし自分がムーブメントを去ったら、ムーブメントは崩壊する」と言える人は誰もいません。私でさえもそうです。私は明日消えることもできますが、それでもムーブメントは私なしで強くあり続けると確信しています。 皆さんが組織の中で責任ある立場を担い始めたとき……これは私がガイドたちに最初に教えることの一つですが……「自分が不可欠な存在にならないことに、すべてのエネルギーを集中させなさい」と伝えています。
エロヒムの前で責任を引き受けた瞬間から、自分がいなくなってもすべてが円滑に続くようにしなければなりません。そのために、あなたを補佐する人々を訓練し、教育し、周囲のすべての人を高め、あなたを助ける人たちをあなた自身よりも優れた存在にしていくのです。
悪い指導者は、自分だけが管理できる存在であろうとします。それは悪いリーダーシップです。
良いリーダーは、自分を助けてくれるすべての人が自分以上に優れた存在になるよう努めます。それがチームの力というものです。私たちはチームであり、このチームの中では一人ひとりが重要です。だからこそ、私たちは自分を助けてくれるすべての人を教育し、いつでも自分の代わりを務められるようにしなければなりません。自分の持っている最善のものを周囲の人々に与える、この在り方こそが“愛”なのです。 それが愛です……自分の周りにいる人々を、自分と同じくらい、できれば自分以上に成長させることです。
私は皆さんを、本当に誇りに思っています。特に開拓者の皆さんを、心から誇りに思っています。なぜなら、私は明日消えることもできますが、それでもムーブメントは同じように強くあり続けると分かっているからです……いいえ、私がいるときよりも、さらに強くなるでしょう。 私の死後、多くの人々がムーブメントに加わるでしょう。そのとき彼らは、突然私たちの哲学に安心感を覚えるようになります。私が「それは起こらなかった」と言い出すのではないか、という恐れがなくなるからです。
しかし、皆さんは違います。皆さんは開拓者です。そのような恐れは持っていません。いつかマイトレーヤが「全部冗談だった。エロヒムに会ったことなどない」と言うのではないか、などと恐れてはいません。
違います。皆さんはメッセージを読み、理解し、そして感じました。“真実”を感じ取ったのです。
かつて、ある素晴らしいラエリアンが私にこう言ってくれました。「マイトレーヤ、あなたが本当にエロヒムに会ったかどうかは、私は気にしていません。あなたが私の人生にもたらしてくれた哲学があまりにも美しいので、私は最期の日まであなたをお助けします。
あなたが与えて下さったこれらの拠り所……哲学とスピリチュアリティ……を使って、できるだけ多くの人を、私と同じように幸せにしたいのです」。
私はこのラエリアンを本当に愛しています。 私は正直に言って、「マイトレーヤ、私はあなたを信じています!」と言いに来る人たちよりも、こうしたラエリアンの方がはるかに好きです。私は人々に信じてほしいのではありません。
人々に感じてほしいのです。信じるだけの人間は愚かです。「私は神を信じる」……今では彼らは、神の代わりにエロヒムを置き換えています。 多くの人がこの過ちを犯します。以前は「神、神、神……」と言っていたのに、メッセージを読んだ途端、「エロヒム、エロヒム……」と言い始めるのです。
彼らは、ある神を別の神に置き換えているだけです。それはメッセージの言っていることではありません。エロヒムは、神の代わりとして存在しているのではないのです。 エロヒムは、より高いスピリチュアリティへ、無限をより深く感じ取る感覚へ、幸福と一体感のより高いレベルへと導く道を示すために存在しています。それを、私たちに感じさせるためにです。ですから、突然毎日エロヒムに祈り始める人たちは、何も理解していません。エロヒムに求めないでください。利己的で愚かな願いごとで、彼らを煩わせないでください。
「でもマイトレーヤ、祈ることは良いことでは?」そうです、祈りは、あなたの潜在意識を顕在意識と調和させる助けになります。それが祈りの役割です。祈りとは、神やエロヒムに個人的な願いを求めることではありません。「エロヒム、お金をください。健康をください。私の子どもを守ってください……」ちょっと待ってください。それは神に向けた祈りです。
ラエリアンである皆さんは、神など存在しないことを知っていますよね? エロヒムは神ではありません。ここにいる全員が、それを理解していることを願っています。エロヒムは、私たちのスピリチュアルなガイドにすぎません。それで十分なのです。私たちは神を必要としていません。
もし子どもや母親が病気になったなら、科学を信頼してください。他国で大地震が起き、多くの人が亡くなったあと、生き残った人たちは「神よ、助けてくれてありがとう。私は生きています」と言います。なんと恐ろしい考えでしょうか。何万人もの死者に対して、あまりにも残酷です。本当に信じがたいことです。信仰とは、これほどまでに不条理なものなのです。 人類は、考え、信じることに病んでいます。人類全体が同じ病に苦しんでいます。考えすぎて、感じない病です。単純な思考を持たず、「あるがままのもの」、本当に「在る」ものに対する愛を感じられない病です。とても単純なことです。感じること、見ること……それこそが、老子が言った「自然の秩序」なのです。
--- 写真:マイトレーヤ・ラエル(1986年頃)
(via Etienne Didoult)
https://facebook.com/photo/?fbid=25694970193508348&set=a.120406338058085
