「ハーモニー・メディテーション」
ラエル著
第四章 意識的な非プログラム化
能力を減退させてしまう習慣 の項
能力を減退させてしまう習慣
それに対して習慣というものは、事物を知覚するメカニズムを次第しだい に減退さ せていきます。新しくアパートを借り、初めて通りを歩く時、すべてのことに 目を見張ります。通りですれ違う人々、流れてくる音楽、色々な色彩、ショー ウィンドーの数々、すべてが興味深いものです。 しかし、2、3日もすると、職場までの道程みちのり を考えごとをしながら歩き、街の雰囲気などにはほとんど関心を払わなくなってしまいます。さらに時が経た つ と、終しま いにはほとんど周りには目もくれないで、夢 遊病者 のように通勤することになります。新聞を読みながらでも、家にたどり着くことができるくらいで す。 これが習慣というものです。そして、私たちがパートナーと、このように習 慣的に振る舞うのであれば、私たちは次第しだい に環境との交流能力を減退させ、知 性を衰おとろ えてさせてしまいます。
その輝きに満ちた眼まな 差ざ しに惹ひ かれ、その声にうっとりし、その香りに酔よ って しまいそうな人に出会い、そしてたったいま並んで歩いているというのに、私 たちは、その人がいることにすら気がつかない有様ありさまです。 同じ物を同じ料理で食べ、同じ服を着て、同じ時間に同じ体位で愛し合うと いった具合には、私たちは機械的に毎日を過ごしています。そして徐々に私たち は、自分の行動から得られる快楽を減少させているのです。
ですから、二度とやり直しができずに過ぎ去ってしまうこの瞬間瞬間 におい て、私たちが生きているその人生に、感銘を覚えながら過ごしていく快楽を再 発見するためには、ほとんど何も必要とするものはないのです。
さらに、習慣に嵌はま ってしまった人の能力の漸次ぜんじ 的減退は、習慣に窒息させら れた国民の情熱の漸次的減少に、実にうまく対比することができます。慣習と は集団の習慣ともいうべきもので、私たちはその慣習とも習慣とも闘たたか わなけれ ばなりません。
要するに、最高の覚醒を得ようとするならば、最高のコントラストに満ちた 生活を送らなければなりません。
視覚的・聴覚的・触覚的・嗅覚きゅうかく 的・味覚的コントラスト、それだけでなく性的・知的コントラスト、要するに私たちの行動のすべてにおいて、私たちの生 活を全く独創的でファンタジーに満ちた芸術作品にするためには、コントラス トが必要なのです。
「ファンタジー」(fantaisie)の語源は、ギリシャ語の「phantasia」で あり、これは「出現」とか「想像力」を意味しています。想像力とは、脳内へ のイメージの出現です。本来は無関係な既知きちの諸要素を、意識的に結合して出 現させたものです。すなわち、知性:intel-ligence (ラテン語の⦆intel-ligereか ら来ており「事物を互いに結びつけること」の意)によって結びつけられたもの です。
しかし、コントラストにより生じうる、あらゆる効果を実際に私たちの中に 産み出すためには、効果を産み出す諸要素の一つなりとも、見落とされること のないように、要素の一つひとつが強烈に感じられるようにしなければなりま せん。だからこそ、私たちの人生の一瞬 一瞬が、完全に生きられなければなら ないのです。詩人が言っているように(「詩人は地平線の上を見ているので常に正 しい」ものですが)、「その瞬間を捉とら える」ことが必要なのです。身体中の全細胞 を用いて、特に私たちがそれによって外界を意識する感覚器官の細胞を用いて、 一秒一秒を、それが、あたかも最後の一秒であるかのように生きるのです。
私たちは、自分と親しい人間が死んだとき、もっと愛情を注そそ いでおけばよか ったと後悔をしながら、その人の側そば で過ごした日々を思い返しますが、それは 驚くべきことです。何しろ、死んで初めてそのことを意識し、自分の怠慢が、 取り返しのつかないものであることに気がつくからです。
こうして意識レベルの低い人ほど、愛する人の死によって絶望的になります。 なぜならその人は、愛する人の側そば で過ごした日々を活い き活い きと生きてこなかっ たにも関わらず、突然そうするには、もう遅すぎることに気づくからです。
それに対して覚醒した人は、愛する人の死によって悲しむことは全くありま せん。なぜならその人は、共に分かち合った瞬間瞬間を自分のものにし、愛す る人に、与えられる限りの愛を与えたことを知っているからです。愛する人を 幸福にするために、それ以上のことはできなかったのです。
この強い感情は、付き合ってきた人の旅立ちの時にも、同じように感じます。 それに、「旅立ちとは幾いく ばくかの死である」とも云い われています。なぜなら、 人はそのとき、愛する人が旅先で亡な くなり、二度と再び会うことができなくな るかもしれない、ということを意識するからです。だから、プラットホームの 上で過ぎゆく最後のひと時に、私たちはそのことを強く感じ、共に過ごした日 々を充実して生きてこなかったことを後悔するのです。
また、愛する人と過ごした日々の知覚が欠如しているということが、嫉妬 の 一定の行動原因となっているのは興味深いことです。 実際、パートナーから別れたいと告げられたとき、私たちは急に過ぎ去った 日々のことを考え、もっともっと愛情を捧ささ げることができたのにそれを怠おこた り、 充実して生きることなく過ごしてしまったことを後悔します。そして、ゼロか ら再出発することを望み、今度は、愛する人と別な風に過ごそうと努つと めます。 しかし、その結構な約束からしばらく経た つとまた、おきまりと習慣に逆戻りし て、また別れざるを得なくなってしまうのです。 この別れを、私たちは失敗と感じます。なぜなら、それは自分の望むように 生きる能力、つまり常に自分の行動を意識して、愛する人に最大の愛情を捧げ る能力を、自分が持っていないことを私たちに示すからです。 しかし、これらのことはすべて、もし私たちが瞬間瞬間を本当に強烈に生き るならば、後 悔のない充実じつ したものとなるのです。それは、他人を自分の側そば に 留とど めて見張るためではなく、ただ過ぎゆく時を失わない快楽を得るためにそう するのです。
出版社:無限堂
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