「マイトレーヤ」

                               ~その教えの真髄~

 

                      マイトレーヤ・ラエル

 

第四章 精神性

 

 

 

意識の三段階  

 

第一段階は、馬鹿な人の意識レベルです。  

 

馬鹿な人とは、自分の欲望と不満の赴おもむ くままに生じる感情的な反応が、野放し状態になっている人のことです。このような人は、すぐに食ってかかったり、 実際に暴力を振るったりします。衝しょう 動どう に突き動かされて行動し、他人にしてし まったことを後こうかい 悔したりします。というのも、こういう人はたいていの場合、 考えることよりも先に、言葉や行動が出てしまうからです。  

 

でも、そのように行動してしまうのは、その人が苦しんでいるからです。自 分の欲求が一度も(または少しだけしか)満たされていないことに苦しんでいる のです。こういう人は、外部からくる幸せに依存している限り、つまり自分への自信と、自分が重要な人間なのだという印象とを持たせてくれるように、誰かが必要な刺激を与えてくれるのを待っている限りは、永遠に満たされないままなのです。  

 

このような人には、同情心を持って愛を与えてやる必要があります。という のは、自分が何をしているのかも分からない状態なのであり、それこそが苦悩の原因だからです。  

 

第二段階は、完全に傍観者であろうとする人の意識レベルです。  

 

この場合は快楽の拒否 、つまり、私たちの肉体や脳が引き起こす反応に立ち向かうことの拒否や、また、人生が提供する様々な歓よろこ びを味わった後に失望する可能性への拒否です。 

 

これは楽な態度です。なぜなら快楽を全く追い求めることがなければ、当然 不満を感じることもないからです。物事に立ち向かうことのない人には誘惑も ありません。禁欲をしていれば危険を冒おか すこともないので、平静でいられると いうわけです。「禁欲が英知の証明だ」と、自分に言い聞かせるだけでよいの です。  

 

しかし、これは明らかに間違っています。なぜなら、本当の英知というもの は経験によって獲得されるものだからです。失敗して、それを修正し、そして 進歩をしていくのです。一つの失敗を修正する度たび に一つの勝利を勝ち取り、覚醒 へ向けてさらに一歩を進むのです。  

この第二段階は、ほとんどの宗教で教えられている禁欲の方法です。自分た ちの感覚を楽しむことを拒否し、山の中や修道院に籠こも って、たったひとりで、世 の中の様々な誘惑から遠ざかろうとすることです。  

 

絶対に汚よご れないようにしていれば、きれいでいることは簡単です。これはと ても美しいことかもしれませんが、その間にも人生は歓よろこ びも苦しみも共に引き 連れて、私たちの側そば を通り過ぎていってしまうのです。  

 

最後の第三段階は、意識をもって人生を楽しんでいく究極の方法です。  

 

それは、社会の中で馬鹿な人々や誘惑などから囲まれてはいても、微笑ほほえ みと 調和を保ち、全感覚や内面の音楽をひとりでいても他人といても楽しめる能力 を活用しながら、自分の期待することを他人がしてくれなくても、不満を感じ ずに進歩していくことのできる方法です。 

 

たと えば、ホッケーをするときに、町一番のホッケー狂にはならないようにす ることです。競技に出場するために一番になれるよう必死のトレーニングをし たとしても、それは他人に勝つためではなく、自分自身に打ち勝つためにする ということです。 

 

誰かに恋をするときも、同時に、その恋愛関係を他人事のように眺なが めるということです。これは、何という微妙なバランスでしょうか。欲求と開花に役立 つ快楽の中にいながら、同時に傍 観者でいる(訳注:超然としている)こともでき るのです。  

 

これは、自分に差し出された直接的な快楽を進んで味わうということです。 というのも、私たちは世界に向けて完全に開かれており、全宇宙は私たちを喜 ばせるために存在しているからですいつも外部から快楽がやってくるのを待 つのではなく、反対に、私たち自身の内部に快楽が生じるようにするのです。 

 

私の快楽は自分自身で作り出しているのだから、お願いした快楽を他人が与 えてくれなくとも、私は不満を感じたりすることはない」 

 

私たちの内部からくる快楽は、私たちの想像によって解放されるものです。こ の快楽は決して私たちを不満にさせることはありません。なぜなら、私たちは 自分の意のままに、様々な快楽を完璧に作り出すからです。 

 

このバランスというものはとても微妙です。でも、とても美しいものです。私 は花の匂にお いを嗅 いで、その香りを吸い込んだりしますが、もし花が私にそっぽ を向いたとしても、それで私が不満を感じたり、不幸になったりすることはあ りません。 

 

傍観者でいる(訳注:超然としている)とは、地球上のすべての快楽は素晴らし い、しかし、それが絶対に必要なものではないと知ることです。それらは「快 楽」であって「不可欠なもの」ではないのです。この快楽が不可欠なものだと 考え始める時にこそ、精神が混乱し始めるのです。実際のところ、私たちが必 要としている基本的なもの(食事、飲み水、睡眠など)は少ないです。それ以外 のものはすべて、「あったらいいな」程度のものでしかありません。  

 

私たちの快楽の源みなもと を無限に広げていきましょう。それを一つのものに限った りすることがないようにですひとりの人、一つの情熱、一つの快楽だけに限 定するのではなくできる限り多くの快楽を味わってみましょう。その中の一 つが自分を捨 てたとしても、他のものがすべてまだ同様に残っていますから。 仮にたった一つしか残らなかったとしても、それだけでも幸せで居続けること ができます。さらにそれさえ無くても、大丈夫です。

 

出版社:無限堂

最寄りの本屋さんから取り寄せできます。

無料ダウンロードで読めます。書籍のご紹介 | 日本ラエリアン・ムーブメントオーデイオブックも。

楽天ブックス: マイトレーヤ - その教えの真髄 - クロード・ヴォリロン - 9784900480285 : 本