地球人は科学的に創造されたラエル

第二部

第二章 二度目の遭遇

1975年7月31日の目撃 の項

 

1975年7月31日の目撃 の後半の部分

 

  7 月の末にはフランソワもやって来て、私たちは、8 月 6日のクレルモン・フ ェランでの集会の翌日から、ここに本格的に転居して来ることを考えるようになりました。しかし、素晴らしい遭遇を体験した場所を離れることは、私の使命に背 そむ くことになるのではないか、などと考えると、はっきりとは決めかねていました。  

ところが、7 月31日に、私と妻のマリー・ポール、それにフランソワの 3人で新鮮な空気を吸うために戸外へ出ていると、見るからに巨大な物体が 1 機、 ギクシャクした動きをしながら、ほとんど家の上を音もなく飛行するのを目撃 しました。  

 

非常な高速で飛んだかと思うと、急に静止したり、ジグザグに動いたりしま した。それは、私たちから500メートルくらいは離れていたでしょう。  

 

この素晴らしい光景を目撃するのに、友人が一緒にいてくれたことがとても 嬉しく、私は、筆舌ひつぜつでは言い表せないような幸福な気分になりました。フラン ソワは感動のために髪の毛が逆 さかったと言います。私にはこの出来事が、私が当地に引っ越して来ることをエロヒムが承認してくれた証拠のように思われ ました。  

 

翌朝、腕の肘 ひじ 近くの二頭膊筋にとうはくきんの上に、奇妙な印 しるし があるのに気がつきましたが、 私はそれを、すぐに前日の出来事に結びつけることはできませんでした。しか しそのあと、大勢の人が、それはエロヒムが付けた印に違いないと言いました。 それは直径約 3 センチ、幅約 5 ミリの赤い色の輪で、その中にも小さい輪が 3 つありました。  

二つははミステリーサークルですが、エロヒムはこういう形でも私たちにヒントを与えられます。

 

この印は、次の 2週間は同じままでしたが、内側の 3 つの輪が形を変えて 1 つになり、2 つの同心円を形づくりました。さらに 2 週間が経 つと、2 つの同心円が消え、白い斑点はんてん となりました。この腕の斑点は今でも残っています。しかし、この印があった期間中は、痛んで困ったり、むず痒 がゆ かったりしなかった ことは強調しておきたいです。私がこの印を見せた心の広い科学者たちは、レ ーザーの助けを借りて私の標本を採取した痕 あと かもしれないと推測していました。

 

8 月 6 日の集会は、ついに予定された通りに、クレルモン・フェランに近い ピュイ・ド・ラソラの噴火口の中で行われました。

そこには、何とも言えない 調和的で、友愛に溢 あふ れた雰囲気が漂 ただよ っていました。  

 

私は自分でも理由の分からぬまま、この日に、マデクのメンバーの集いを行 う決心をしていたのですが、これは、エロヒムの導きであったに違いありませ ん。なぜなら何人かのメンバーたちが、この日は、ヒロシマに原爆が投下され てから30周年目の記念日であり、またキリスト教でも、変容祭という祝日に当 たる日だと教えてくれたからです。愚かな人たちは、そんなことは単なる偶然 の一致だと言うに違いありませんが。  

 

この集会のあと、私はマデク(ラエリアンムーブメントの前身)のメンバーたちの助けを借りて引っ越しを済ませ、ペリゴール(フランス)に定住することにしました。 

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