Rael Maitreya

 

Canadian Raelian Movement

民族が原始的であればあるほど、理神論の宗教が根強くはびこっています

 

 

地球人は科学的に創造されたラエル

第二部

第三章 二度目の遭遇

神も霊魂も存在しない  の項

 

神も霊魂も存在しない 

 

エロヒムの長ヤーウェラエルに話されます:

 

民族が原始的であればあるほど、理神論の宗教が根強くはびこっています。 しかし、そのことを、ある面では、他の惑星からの訪問者たちは利用したのです。攻撃心をまだ克服していない原始世界を平和的に訪問するためには、それ 以外に方法がないからです。  

 

あなたがたも間もなく、進歩した人間として原始世界を訪れる段階にまで到達した場合には、あなたがた自身も同じ方法を用いざるを得ないでしょう。も っとも、これは原始的な人々から神として見なされるのですから、とても楽しいことなのですが。やり方は実に簡単です。原始的な人々にとっては、空から来るものはすべて神だからです。  

 

もちろん、尊敬されて快く迎えられるためには、それなりのちょっとした工夫が必要です。今でも引き続き私たちは、地球に姿を現して、この方法がまだ有効なのかどうか、また行政当局や政府や報道機関が、どんな反応を示すのかを確かめてみています。私たち自身、けっこう楽しんでいるのですよ……。  

 

最初のメッセージで説明したように、神は存在せず、また明らかに霊魂も存在しません死んだ後は、科学が何らかの介入をしない限りは、何も残らないのです。あなたもご存知のように、人間の各細胞には、その人を構成している 肉体および知性に関する設計図が入っていてその人の細胞1個から、死んだその人を再生することができます。  

 

また、人間の体重は、死の瞬間に数グラム減ることが確認されていますが、 実はこれは、生きている人間ならば誰でも持っているエネルギーが、死の瞬間 に消滅することを意味しているにすぎません。ご存知のように、エネルギーに も物質と同じように重さがあるのです。  

 

私たちは、無限に小さな世界にも知性を備え、有機的な身体を持った生命が存在することを発見しました。彼らが私たちと同じ程度に進歩した生物であり、 私たちに匹敵する存在であることは証明済みで、まず間違いありません。  

 

従って私たちは、恒星や惑星は、あるひとつの巨大な存在の微粒子であるこ とも発見しました。きっと、この巨大な存在は、他の星の群れを好奇の目で眺なが めているのです。また、無限に大きな生物の中の、無限に小さな部分に存在する生物やその同類が、非物質的な「神様」を信じていた時代もきっとあったで しょう。  

 

あらゆる物は、他のあらゆる物の中に存在していることを、あなたがたは十 分に理解しなければなりません。今この瞬間にも、あなたの腕の中の1つの原子の中では、「神」や霊魂の存在を信じる世界や信じない世界が、何百万と生まれては死んでいっています。1000年という時の流れも、太陽が1個の原子に すぎないような巨大な存在にとっては、たった一歩を踏み出す時間でしかない のです。  

 

すなわち、時間というのは、質量、あるいはもっと適切な言葉で言えば、生命形態のレベルに反比例しています。それにも関わらず、宇宙の中のすべての ものは生きており、しかも、無限大および無限小と調和を保っているのです。  

 

地球は、他のあらゆる惑星と同じように生きていますが、小さなカビのごとき人類にとっては、そのことに気づきにくいのです。というのも、地球の質量と人間の質量との間には桁けた 違いの差があって、それによって生じる時間のズレのために、あなたがたは地球の脈動を感知することができないのです。私たちの赤血球の中の1つ、いやむしろ、私たちの身体を形成している原子の中の1つひとつも、それ自身やその仲間たちが、一つの生物の一部を構成しているとは想像しがたいのです。  

 

最終的には、各々おのおのの個体がどうであるかはほとんど問題ではなく、宇宙のバ ランスは一定に保たれているのですが、しかし私たちが、私たちのレベルなりに幸福でありたいと願うのであれば、無限大と無限小、それに仲間の人たちと も、調和を保って生きていかなければなりません。 

 

神や霊魂の存在を支持しようとする、いかなる議論も、宇宙が無限であるこ とを考える時、その立脚点を失います。天国なるものが、宇宙のある特定の場所に存在することなどあり得ません。というのも宇宙は無限なのですから、その中心もありません。さらに前に説明したように、無限大の存在と無限小の存在との宇宙の間では、質量の違いが大きすぎて、相対する時間の流れは全く違ったものとなっていますので、一切のコミュニケーションは成立し得ません。  

 

そういうわけで、もし私たちが、死後の身体の中から出ていく不滅の霊魂な るものを想像しうるとしても、それはとても詩的というよりは、むしろナイーブなイメージですが、こういうことは原始人の考えることです。宇宙は無限なのですから、私たちには、死者の霊魂なるものが一体どこへ行くのか、考えて みることすらできません。 

 

死の瞬間に、人間の身体から出ていくエネルギーの量は無秩序に分散して、 周りの空間内に漂ただよ っているすべてのエネルギーと混ざり、その独自性を失いますしかし、死んだばかりの細胞の中には、その独自性が含まれています。この有機体は、オスとメスの遺伝子が受精の際に最初の細胞を形成しながら、確定したプランに従って組成されたものです。  

 

地球上の生命の起源について、誰かがこう言うかもしれません。「君の話には何ら説得力がない。そもそもの始まりがどうであったのか、説明できないのだから」  

 

この、始まりがどうであったのかなどというのは、愚かな問いです。こういう問いを発するのは、時間と空間が無限であることを知らない人に決まってい ます。物質には始めも終わりもありません。あなたもご存知でしょうが、「何も失われることなく、何も創造されることなく、すべてのものはその形を変えられていく」のですから。ただ形態だけが、高度の科学的レベルに達した人々 の意志に従って変わり得るのです。  

 

このことは同様に、無限にある生命レベルのどれについても、等しく当てはまります。私たちの紋章に描かれているダビデの星はこれを表したもので、重ね合わせたふたつの三角形は「上のものは下のものと同様である」ことを意味 しています。この6つの分枝を持つ星の真ん中に、すべてのものは循環するこ とを意味するスワスティカを配したのが、私たちの紋章であって、これには界中のあらゆる知恵が含まれています。このふたつのシンボルが一緒になったものは、チベットの死者の書『バルド・トドゥル』を始めとして、多くの古代 文献にることができます。  

 

人間の有限な頭脳で無限を知ることは、言うまでもなく非常に困難なことでありそのために、1つまたは複数の神を信じ、その神にすべての責任を負わ せることによって、時間的にも空間的にも、宇宙に限界を設けるという必要が 生じてしまうのです。  

 

実際、宇宙に対して十分な人間性のレベルに達し得ない人たちは、無限というものを容易に認めることができません無限は、人間を例外的な特別な存在 という地位から引きずり降ろし、限りない宇宙の中の、ごく普通の時と場所に置かれた、ごく普通の生物にしてしまうからです。  

 

明らかに、人は、より限界のはっきりしたもの、しっかりと枠わく のはまったも の、自分の頭脳が想像できる範囲内に収まっているものの方を好む傾向があります。他ほか の惑星にも生命は存在するのか、などという問いを発する人は、こう いった限りある頭脳の典型と言わなければなりません。その意味で、私たちは、 あなたが前に講演の中で話をしたあの比喩ひゆが大好きです。あなたが話されたように、ああいった人たちは、他の池にも生き物はいるのか、などと池の底で言 い合っている蛙かえる のようなものなのです) 

 

出版社:無限堂

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