「一神教の宗教は危険であり、人類の数々の重大な惨事に責任がある--2002年」の項
2001年 9月11日の、ニューヨークでのテロ行為は、テロが起こる本当の理由を問わなければならないことを、緊急に知らせていると言えます。極悪な行為に走らせる悪の根源は何なのでしょうか。
何が、赤いターバンを頭に巻いた男たちに、ボーイング767をビルディングに飛ばして何千人もの命を奪うことになった、この悲劇的な自殺行為の準備をさせるのでしょうか。
こういう現象が拡大している現在、誰にも迷惑のかからない簡単な答えや、 こういう出来事がいつ起こるかも防止できないような、政治的には妥当とされる答弁などでは、とうてい満足することはできません。
軍事的な報復や暴力では問題の解決とはなりません。逆にそれによって、さ らに多くの憎にく しみが生まれ、絶望する人が増え、それがためにより多くの暴力 が生起せいき されるという、恐怖 だけが勝利する悪循環となってしまいます。
問題の根源を正しく、はっきりと理解することのみが、それを解決できるのです。
私は同情しながらも、テレビでアメリカ人が次のように言っているのを見て いました。 「祈りましょう。神は、このような悲劇の時に、私たちと共にいらっしゃるのですから」
なんですって? それでは、この惨事の時に、神はどこにいたのでしょうか。 なぜ神は防いでくれなかったのでしょうか。私たちが信じ込まされているよう に、神が全能で絶対的な力を持つならば、なぜその時に、神は動いてくれなかったのでしょうか。
しかし、神は何もしてはくれませんでした。それでは、神はサディスティッ ク(虐待的)で流血を好むのでしょうか。そうでなければ、これは、神は全能な どではなく、単に存在しないという証拠 かもしれません!
では、その神とは、どんな神のことを言っているのでしょうか。
神秘主義の精神が錯乱した状態で、「神偉大なり」と叫びつつ建物に向かって飛行機で突っ込み、その犯罪を神に捧ささ げる気の狂った人たちの言う神でしょうか。それとも、自分たちが犠牲者であるその苦しみを、忘れようとして祈っている人々の言う神でしょうか。
それこそがさ しく、本当に危険なことなのです。つまり、人間の復讐の後押 しをする「全能の」神への信仰です。しかし実際に、神は何をしてくれるので しょうか。いいえ何も、全く何もしてくれません。どちらの側に対してもです。
神が人間のことを愛しているなら、どうしてある者を特別扱いにし、他の者 は特別扱いにしないなどということがあるでしょうか。神がそれほど全能だと いうなら、どうしてビルを破壊するのにパイロットなどが必要なのでしょうか。 なぜ神は、罪のない犠牲者たちを守らなかったのでしょうか。
本当は、この全能の唯一神への信仰が、人類が知る悲劇のまさに最大の原因 なのです。それは数千年もの間続いてきました。世界中のすべての軍隊が、「神 は我々と共にいる」と主張して戦争に行きました。ヨーロッパを植民地化した イスラム教徒、イエスの墓を救うために十字軍を組織したキリスト教徒、宗教戦争に宗教裁判、そして現代では、パキスタンとインドの戦争、キプロス、アイルランド、コソボ、中東での戦争……。常に至るところで、人々は全能の神 の名の下もと に殺し合っています。
その悪行 の根源は、皮肉にも、この「慈悲深く愛に満ちた神」と呼ばれてい るものへの信仰なのです。
間違いを探さが しなさい! このような神への信仰と、特に私たちが神から授さず けら れたと思っている「聖典」の中に探しなさい。実際それらは、いつも人の手に よって書き記しる され、何世紀も経たつにつれて、書く人の偏見や利益に従って内容 が歪ゆが められてきました。
旧約聖書、新約聖書、コーラン、トーラ……。これらの「聖典」はすべて、そ の教えの中で非寛容、暴力、野蛮 さを奨励 しているのです。
私たちがニューヨークの悲劇の原因について考え、どうして人はそのような 行為を起こすのかと考えている間にも、一神教の宗教について教える学校では、 良かれと思って子供たちに狂信 と非寛容を教えているのです。
「目には目を、歯には歯を」。当初から一神教 はその特色を示しています……。 神はアブラハムに、彼の息子の喉のどをナイフで掻かき切り、生贄いけにえに捧ささ げるように要求します。アブラハムは、この「愛の神」に全く従順に従います。
「おまえの右の手が罪を犯したら、その右の手を切り落としなさい……」「後ろを振り返る者は塩の柱となるであろう……」など、例を挙あ げたらきりがありま せん。
ユダヤ人はユダヤ人以外の人と結婚しないように忠告する彼らの書物も、一 つの非寛容の見本です。現在ユダヤ人であれば自動的にイスラエル国籍が与え られ、ユダヤ人でなければそれが不可能であるという事実も、全く同じ非寛容 の現れです。それはつまり、現在パレスチナ人に対して行われている民族浄化 なのです。
イスラム教徒については、彼らの文書が、イスラム教徒以外の人々、や「劣っている」と考えられている女性に対しての暴力を、とてもハッキリと奨励しています。次の引用は、彼らの預言者が与えたとされる公式の文書です。
「聖月が過ぎたならば、多神教徒を見つけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、またあらゆる計略でこれを待ち伏せよ。だが彼らが悔悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨(きしゃ)をするならば、彼らのために道を開け。まことにアッラーは、寛容にして慈悲深い方であられる。」(「コーラン」第9章5節)
また、イスラム教徒は公(おおやけ)に、人権と民主主義の法則に反する、人種主義と差別を奨励しています。
「あなたがた信仰する者よ、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間としてはならない。彼らは互いに友である。あなたがたの中で誰でも、彼らを仲間とする者は、彼らの同類である。アッラーは決して、不義の民をお導きにはならない」(「コーラン」第5章51節)
最後に、もう一つ、人権と民主主義の権利に反している戒律があります。イスラム教は、男性は女性よりも優っているという口実のもと、
信者たちに家庭内暴力を行うことを要求しています。
「男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが一方を他よりも強くなされ、。。。。あなたがたが、不忠実・不行跡の心配がある女たちには、これを訓戒し、それでもだめならこれを臥所(ふしど)に置き去りにし、それでも効きめがなければ、これを打て。。。。。」
(「コーラン」第4章34節)
宗教は、それがいかなる宗教であろうとも、人権と民主主義の法則に反する3つの行為について、男性がそれを実行するのを公式に奨励するのは許されることでしょうか。つまり、殺人、人種差別、家庭内暴力の奨励です。
もし、「カルト」が同じような原理を説けば、その責任者は早々に、確実に刑務所送りになっていることでしょう。神秘的宗教の精神錯乱が、民主主義国家の法律と人権を尊重せずによい免罪符となることは、決してありません。
唯一の解決策は、私が20年以上も主張してきたように、古くからの宗教も少数派の宗教も、聖典の古い新しいは関係なくすべて検閲にかけ、人権や民主主義国家の法律を尊重せずに、憎しみや暴力を奨励している部分は、すべて削除することです。そして、特にそのようなことは、もう子供たちには教えないようにすることです!
科学のおかげで、地球が楽園になるこの新時代の夜明けにおいては、確固たる厳しい検閲を行うことで、憎しみと暴力を奨励するいかなるイデオロギーも永遠に破壊し、あるいは少なくとも黙らせる時が来ているのです。テロリズムをどんなに「政治的に正当性をもって」非難しても、本当の根源的な問題に取り組まない限り、何も変わることはないでしょう。だからこそ、すなわち、常に狂信を生み出す一神教の教えを禁じ、または検閲を行うのです。
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