Rael Maitreya

 

Patrick E Allen Architect, PC

 

🏰Citadelle Laferrière, Haiti🇭🇹

Citadelle Laferrière is a historic fortress located in northern Haiti, atop the Bonnet a L’Eveque mountain. Constructed in the early 19th century under the direction of King Henri Christophe, it served as a stronghold against foreign invasion during Haiti's fight for independence. This UNESCO World Heritage Site stands as a remarkable example of military architecture, boasting thick walls, bastions, and strategic positioning that offer breathtaking views of the surrounding landscapes.

 

Koichi Raelian

🏰Citadelle Laferrière, Haiti🇭🇹

シタデル・ラフェリエールはハイチ北部、ボネ・ア・レヴェック山の頂上に位置する歴史的な要塞。 19世紀初頭にアンリ・クリストフ国王の指示で建設され、ハイチ独立の戦いの間、外国からの侵略に対する要塞として機能した。 このユネスコ世界遺産は、軍事建築の顕著な例として、厚い壁、稜堡、戦略的な配置を誇り、周囲の景観の息をのむような眺めを提供している。

 

----------------------------------------------------

ハイチ革命 - 黒人奴隷が自力で独立を成し遂げた稀有な国

ハイチは、世界で初めて黒人奴隷が自らの力で独立国家を誕生させた世界史上希有な国です。

 

その意義は、人類史上、フランス革命などと並ぶ輝かしいものです。それは、アメリカ地域でアメリカ合衆国(1776年)に次ぐ第二番目の独立で、ラテンアメリカ・カリブ地域の中では最初の独立でもありました。

今回は、ハイチが1804年に独立を勝ち取った経緯を紹介したいと思います。

 

1789年のフランス革命は、自由・平等・博愛・人権の理想を掲げる素晴らしいものでしたが、フランス植民地の奴隷を当然に解放するものではありませんでした。これに対し、翌年、まず革命思想に触発されたムラート(白人と黒人との間に生まれた混血の人々)が、フランス市民としての政治的権利を求めて暴動を起こし、続いて、1791年に黒人奴隷達も、大規模な反乱を起こします。

1792年、フランス革命政府がヨーロッパ諸国と仏革命戦争を始まると、サン・ドマング(現在のハイチ)にもイギリスとスペインが攻め込んできました。トゥサン・ルヴェルチュールが率いる黒人奴隷軍は最初スペインに加わったためフランス軍は劣勢となります。このままでは外国軍に島を占領されてしまうとの危機感を抱いたフランスは、事態打開のために黒人奴隷制度の廃止を決定します。これが奏功して、黒人奴隷軍は仏軍に合流してイギリス軍とスペイン軍を島から駆逐し、トゥサンが島での実権を握ります。

しかし、1799年にナポレオンがフランス本国で権力を握ると、彼はサン・ドマングの再征服と奴隷制度の復活を画策します。1802年、仏遠征軍が島に上陸して2か月後にトゥサンは降伏し、フランスに追放されてしまいます。

それでも、10月にトゥサンの右腕だった元黒人奴隷のデサリーヌらが仏軍に反旗を翻して独立戦争がはじまり、翌1803年12月にはフランス軍は敗れ、島から撤退しますそして1804年1月1日、遂にハイチの独立が宣言され、デサリーヌは満場一致で終身総督に任命されます。

 

このハイチ革命は、外国の黒人奴隷達に多大な影響を与え

プエルトリコ、

バルバドス、

トリニダード、

ジャマイカ、

キューバ、

ドミニカ、

ホンジュラス、

仏領マルティニーク及び

グアドループ島のカリブ海地域だけでなく、

ブラジル、ホンジュラス、米国のニューオーリンズ、ヴァージニアでも黒人奴隷の蜂起が起こります。しかし結局は、宗主国や政府によって鎮圧されてしまいました。それ以降、ハイチは「自分の国に政治的不安定をもたらす国」として関係国から敵視または無視されることになります。アメリカ合衆国でさえも、リンカーン大統領による奴隷解放宣言はずっと後の1863年です。

 

ハイチの独立が他国から正当な扱いを受けるにはタイミングが早すぎました。ハイチ独立から200年以上経った現在も、この歴史的な偉業は正当に評価されていません。それは、ハイチがこの偉業にふさわしい発展を遂げていないことに原因があると思います(それについては後述します。)。

私は、近い将来、ハイチ革命の世界史上の意義が正当に評価される日が来ることを願って止みません。

 

(本稿は執筆者個人の見方であり、外務省の見解を述べたものではありません。)

 

(参考文献)

ハイチ革命とフランス革命 浜忠雄著 北海道大学図書刊行会

ハイチの栄光と苦難 浜忠雄著 刀水書房

Les grandes dates de l’histoire diplomatique d’Haïti, Wien Weibert Arthus著

 

追記: 佐藤賢一著 「黒い悪魔」 (文春文庫)について

三銃士などの作品で有名なフランスの文豪アレクサンドル・デュマ(デュマ・ペール)の父親トマ・アレクサンドルは、白人農場主と黒人女奴隷との間にサン・ドマング島に生まれたムラートでした。実の父親がフランス本国に戻る際に一度は奴隷として売られ、後に父に買い戻されてフランス本国にわたり、軍人として頭角を現し、並外れた肉体と勇猛果敢な戦いぶりでナポレオンですら一目置く将軍にまで登りつめました

 

息子のデュマは、この父親を深く尊敬していました。「三銃士」や「モンテクリスト伯」等の傑作は、将軍だった父親の体験にヒントを得て、虚実入り交じりで書かれた作品といわれています。

 

作家の佐藤賢一氏が「黒い悪魔」という小説でトマ・アレクサンドルの生涯、「褐色の文豪」で文豪アレクサンドル・デュマの生涯を臨場感あふれるタッチで描いていて、読者の私たちをワクワクさせてくれます。

 


水野光明在ハイチ日本大使の紹介
幸田小学校、幸田中学校卒。創価大学大学院経済学研究科中退。1991年外務省入省。外務省では、主に貿易、国際協力、条約、国連関係の仕事に携わり、海外は、ガボン共和国、フランス、コンゴ民主共和国、スイス(ジュネーヴ)、国連開発計画(ニューヨーク本部)で勤務。2018年12月から現職。