Rael Maitreya

 

La pensee n'est jamais innocente.
La meditation met fin a la pensee,
mais non par l'action de celui qui medite,
car celui qui medite n'est autre que la meditation."
Jiddu Krishnamurti

 

Thought is never innocent.

Meditation is the ending of thought,

not by the meditator,

for the meditator is the meditation.

Source of quote: http://legacy.jkrishnamurti.org/.../view.../20171216.php
 

思考は決して無垢なものではない。
瞑想とは、思考を絶つことであり、

瞑想者によって成されるものではありません。

というのも、瞑想者自身が瞑想そのものだからです。


引用元翻訳:


思考の果てにある瞑想


瞑想においては、マインドおよびハートの質が大切になってきます。

 

達成するものであったり、あるいは、声にして手に入れるものを言うとかではなく、無邪気で無防備なマインドの質が重要なのです。

 

否定することで、肯定的な状態になります。

 

ただ単に経験を積んだり、経験の中で生きたりすることは、瞑想の純粋さを否定することになります。

 

瞑想は目的を達成するための手段ではありません。

 

それは手段であると同時に目的でもあるのです。

 

心は、経験によって無垢になることはありません。経験を否定することで、思考では培うことのできない無邪気でポジティブな状態をもたらすのです。

 

思考は決して無垢ではありません。瞑想とは、思考を絶つことであり、瞑想者によって成されるものではありません。というのも、瞑想者自身が瞑想そのものだからです。

 

もし、瞑想がなければ、偉大な美、光、色の世界に佇む盲人のようなものです。

 

海辺を散策して、この瞑想的な質をあなたの中に湧き上がらせてみてはいかがでしょうか。もしそれがこみ上げてきたなら、追求してはいけません。

 

あなたが追い求めるものは、それが以前にあったという記憶であり、「あった」は「ある」の亡骸(なきがら)なのです。

 

瞑想とは、根であり、植物であり、花であり、果実です。

言葉が、果実、花、植物、根を分けているのです。

この分離においては、行動は善をもたらしません。

美徳とは、総合的に認識するということなのです。


第2回 ペンギン出版主催『クリシュナムルティ読者との対話会』(1968年、於ヨーロッパ)より
http://legacy.jkrishnamurti.org/.../view.../20171216.php...
Meditation in the ending of thought | Daily Quotes Archive - J. Krishnamurti Online
LEGACY.JKRISHNAMURTI.ORG


ジッドゥ[* 1]・クリシュナムルティ
(英語:Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)は、

インド生まれの宗教的哲人、精神教師、教育者、神秘家[1]、ヨーギー[1]、精神
世界の著作家。

すべての物事が時間的にも空間的にも互いの条件付けによって成り立つと考え、
人は組織、信条、教義、聖職者、儀式等によって真理に到達することはできず、
ただ自己認識によってのみ真理を見出すことができると説いた[2]。

 

あらゆる伝統を否定したが、彼が語る真理の発見と体験はインド思想に立脚していると考え
られており、インド哲学・ヒンドゥー教のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ、仏教
との共通点が指摘されている[2][3]。インドだけでなく、欧米でも幅広い支持を
得た[2]。 Wikipedia