ヤーウエとの最初の遭遇後の数か月---ラエルがビデオで語られます
71-01-01 The months after the 1st encounter
https://www.youtube.com/watch?v=_xmbNLcDIZA
最初の遭遇後の数か月 沖縄で収録
とても重要なこと
それは
私たちはエロヒムとつながっているということです
私の目だけではなく
皆さんの目ともつながっています
皆さんは地球におけるエロヒムの目です
地球におけるエロヒムの手であり
地球におけるエロヒムの声なのです
皆さん一人ひとりがそうです
私だけではありません
皆さんがメッセージを広める時
愛を広める時
それも私たちの使命の一つです
人々の声を聞き
地球上の人々の苦しみを和らげる時
皆さんはエロヒムのメッセンジャーです
私だけではありません
私は最初でした
その後 皆さんを見つけました
そして
他に何千人も見つけました
私は一人でした
今は 世界中のあらゆる場所に 何千人ものラエリアンがいます
ラエリアンが増えるほどに
私は有用ではなくなります
初めは
私は一人だったので
とても重要でした
私がいなくなったら
お終いですから
エロヒムと出会った後の最初の数か月間は
そのことについて考えると
不安と同時に
自信に満ちていました
今まで話したことがないのですが
メッセージを受け取った後
それは1973年12月でした
皆さん それは知っています
始めの頃
私はまだカーレーサーで
1974年は
アウディと
契約を結んでいました
ですから1974年は
10月まで
レースに出ていました
レースに出るたびに私は思いました
何という責任だろう
もし衝突して死んだら
私はエロヒムを裏切ることになる
同時に「彼らに私が必要なら
彼らは私を守ってくれるだろう」とも考えました
私のことが必要なら、どんなにスピードを出しても大丈夫だ
私が必要なら 私を生かしておいたほうがいいだろう
彼らは言いました「レースをやめてメッセージを広めなさい」と
でも私は悪い子だったので
本当に悪いわけではないです だってすでに契約した後でしたから
エロヒムに会う前に、73年の終わり頃アウディと契約を交わしました
契約は守らなければなりませんでした
ごめんなさい
契約があるので
私はレースに出ました
その後 74年の5月だったと思います
5月に
フランスのテレビ番組に招かれました
まだムーブメントができる前です
何もありませんでした
私はパリの大きな出版社に原稿を送っていました
この大きな会社は
エロヒムが私を導いてくれました
私は原稿を送り 手元に写しは残してませんでした
原本を送ったのです
この会社の責任者は
フランスで一番人気のトーク番組の司会者と友達でした
彼が私の原稿を受け取った時
少しだけ目を通しました
事務所にはその司会者がいました
その人に「これは君の気に入るかも」と言って
原稿を渡しました
司会者の名前はジャック・シャンセル
フランスの有名なトーク番組の司会者です
彼はメッセージを読み
私を番組に招待しました
フランスで一番のトーク番組です
私は番組でメッセージについて説明しました
ラエリアンは一人もいません
私は一人でした
初めて
公の場で話しました
誰も私を手伝ってはくれないだろうと思っていました
あまりにも画期的なメッセージだから 誰も助けてくれないだろうと
エロヒム わかりました あなたの言うことは聞きます
実のところ 誰も来ないといいなと 少し思っていました
そうすれば レースを続けられるから
言われた通り メッセージを話し 説明しました
その三日後 郵便局から臨時トラックがやってきました
何千通もの手紙を運んで
いろんな地域からの「あなたを助けたい」というラエリアンからの手紙でした
私は皆に返事を書きました
一人ひとりに
くたびれました
おかしかった話をします
私は6月から10月まで 毎月レースに出なければなりませんでした
テレビ放映後のレースで
レースに行ったら
他のドライバーたちがやって来て私に言いました「やっと分かったよ」
「あなたがあんなにスピード出せるのは 彼らに守られてるからなんだね」
テレビに出る前のレースの話ですが
時々 カーブの所に小さな盛り上がった場所があります
そこにタイヤが乗ると 車は傾いて二輪になります
四輪ではなく二輪です
勢いが余ると 完全にひっくり返ってしまいます
そのレースは 南フランスの有名なサーキットで行われました
私はスピードを出しすぎて
タイヤが一輪浮き
二輪になり
しまいに一輪だけになりました
オーッとなり
四輪に戻りました
後ろには数台の車が走っていました
そのドライバーたちはレース後にやって来て
「もう少しで完全にひっくり返るところだったよ」と言いました
でもテレビ放映の後
メッセージのことを聞き
「そういうわけだったのか」と言いました
「あなたは守られていたんだね」
一輪で走るなんて滅多にありませんから
二輪はあるけど一輪を見たことがある人は誰もいませんでした
エロヒムは私を守ってくれていたのです
私は皆さんを見つけなければなりませんでしたから
それが最もおかしな思い出の一つです
そして10月が終わり
レースはなくなり
私は世界を旅し始めます
皆さんを見つけるために
最初の頃の私は エロヒムの手を焼かせていたと思います
やんちゃな子だ 彼を守らなければと
後には 私も落ち着きました
私はたった一人だったのでとても重要だったのです
メッセージを託された ただ一人の人 皆さん想像してみてください
自分だけがメッセージを知っている
世界中があなたを待っている
ひどいプレッシャーでした
でも今は
ラエリアンがどんどん増え
私はもう重要ではなくなりました
ラエリアンが増えるごとに
私は無用になっていると感じます
私は消えてもいいです
皆さんが
新しいマイトレーヤになります
皆さんが エロヒムのメッセージを広めます
皆さん ここにいます
皆さんのおかげで 私はゆっくりできます
もう プレッシャーはありません
皆さん ありがとう
ミチオはイエスと言いました
私の目は重要ですが
皆さんの目は もっと重要です
皆さんの口
皆さんの手
美しいメッセージを広めるために
皆さんは とてもラッキーです
一人じゃないんですから
私たちには 美しい家族がいます
一人じゃないというこの気持ちを楽しみましょう
互いに手を取り合いましょう 私たちは一つの家族です
手を出して そう この素晴らしい家族を感じましょう
メッセージを広めるために チームで働きます
手だけではなく 周りのラエリアンの目を見てください
彼らの目は 私の目よりも重要です
私たちは 一つなのですから
皆さんの目の中に
エロヒムが見えます
皆さんの目の中に 私の目が見えます
皆さんの目の中に メッセージの光が見えます
このメッセージが 皆さんの人生をどれほど変えたか知ってますか
中には 命を救われた人もいます
メッセージを読む前は 自殺を考えていたと 多くのラエリアンが私に言いました
でも皆さんは 生きて私と共にいます
ありがとうございます エロヒム
