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ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士

 

 

それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護した。
異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。
思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある

 

彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる

 

ローマ時代(1593年-1600年)

1593年にローマに移されて以降、裁判はなかなか実施されず、ブルーノは7年を獄中で過ごした。
彼への告発理由は神への冒とく不道徳な行為教義神学に反する教説であり、ブルーノの哲学と宇宙論にみられるいくつかの点も問題とされた。
ブルーノは教皇クレメンス8世に直接面会して自説の一部を撤回することを明言すれば嫌疑は晴れると考えていたが、クレメンス8世はこれを拒絶し、異端審問の開始を命令した。

異端審問が行われると、当時の異端審問所の責任者であった枢機卿のロベルト・ベラルミーノはブルーノに対し、自説の完全な撤回を求めたが、ブルーノは断固としてこれを拒絶した。
結果、罪状は24に上り、上記に加えて魔術・占術の信奉、マリアの処女性の否定、輪廻説の支持などが挙げられた。

 

1600年1月8日、ベラルミーノはブルーノを異端とし死刑判決を下した。
同年2月17日、ローマ市内のカンポ・デ・フィオーリ広場に引き出されたブルーノは火刑に処された
処刑の様子はブレスラウの学生ガスパール・ショップ (Gaspar Schopp) が目撃し、家族へ送った手記により後世に伝えられている。それによると、ブルーノは処刑を宣告する執行官に対して
私よりも宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか」と言い、結果舌枷をはめられた。さらに、刑の直前に司祭が差し出した十字架へは侮蔑の一瞥をくれただけで顔を背け、死の際には1つも声を発さなかったという。遺灰はテヴェレ川へ投げ捨てられ、遺族に対しては葬儀ならびに墓の造営も禁じられた。

 

死後
ブルーノの著作のすべては1603年に禁書目録に加えられた。それでも、著作のほとんどはパリ・ロンドン・フランクフルトなどイタリア半島の外で出版されていたため、わずかではあったが流通しつづけた。