
聖櫃は聖書が言っていることよりも遥かに短時間エルサレムで保管されていた可能性が。
そしてそれには10戒以外の何かが入っていたかもしれない。
The holy ark was likely kept in Jerusalem for much less time than the Bible tells us. And it may have contained something other than the Ten Commandments
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聖櫃に関しては想像力たくましくいろんなことが言われていますが、イマジネーションの産物に過ぎません。
答えはこうです:10戒以外の何かの正体
「地球人は科学的に創造された」ラエル著
「テレパシーの正体」の続きです:
http://ameblo.jp/junzom/entry-12113610996.html
「テレパシー能力者サムソン」 の項
ダビデがゴリアテに挑戦する逸話(いつわ)の中にも、興味をそそる短い文章があります。
……”何者が、生ける神の軍に挑(いど)むのか”(『サムエル記上』17章26節)
このことは、当時の「神」が、完全に触れることのできる現実的な存在だったということを、よく表しています。創造者たちと人間との間の通信手段としてのテレパシーは、エロヒムが地球の近くにいる場合にしか、有効には働きませんでした。創造者たちが遠くの惑星や他の場所にいた場合は、この方法での通信はできませんでした。
このために彼らは、送受信機を「神の箱」の中に入れて持ち運ばせたのです。その送受信機には原子力のバッテリーが入っていました。ペリシテ人が神の箱を盗んだとき、彼らの偶像ダゴンがヤーウェの箱の前にうつむきに地に倒れた、という記述が『サムエル記上』の5章と6章にありますが、これは誤った操作で放電が発生したものです。
彼らはまた、放射性物質からの危険な放射能で火傷(やけど)を負いました。
”腫物(はれもの)をもって彼らを悩まされた”(『サムエル記上』5章6節)
同様にヘブライ人の中にも、神の箱の操作に注意しなかった人々は傷つきました。
”ウザは神の箱に手を伸べて、それを押さえた。牛がつまずいたからである。すると、ヤーウェはウザに向かって怒りを発し、彼が手を箱に伸べたので、彼をその場で撃(う)たれた。彼は神の箱の傍(かたわ)らで死んだ”(『サムエル記下』6章6・7節)
神の箱が逆(さか)さまに落ちそうになったので、支えようと手を伸ばしたウザが、装置の危険な箇所に触れて感電死したのです。
『列王紀上』(1章50節、2章28節)には、「彼は祭壇(さいだん)の角(つの)をつ かんだ」という言葉が1度ならず出てきます。これは創造者たちと交信するために、送受信機のレバー操作を描写したものです。

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ナショナルジオグラフィック の記事:
“契約の箱”アークがもつスーパーパワー
「契約の箱」とも呼ばれるアーク(聖櫃:せいひつ)は、モーセが神から授かった十戒を刻んだ石板を納めた箱です。イスラエルの民をエジプトから救い出したモーセは、カナンの地に向かう途中、シナイ山で神から十戒を授かります。具体的には、次の10の掟(おきて)です。
一、 神の他に、なにものをも神としてはならない。
二、 偶像を作ってはならない。
三、 神の名をみだりに唱えてはならない。
四、 安息日を守ること。
五、 父母を敬うこと。
六、 殺してはならない。
七、 姦淫してはならない。
八、 盗んではならない。
九、 隣人について偽証してはならない。
一〇、隣人の家をむさぼってはならない。
神は十戒を2枚の石板に刻み、モーセに授けました。そして石板を納める箱を作るように指示しました。これがアークです。神の指示は具体的でした。アカシア材を使い、箱の内側も外側も純金で覆い、周囲に金の飾り縁を付けること。箱の四隅の脚に金環を付け、そこに棒を通して箱を担げるようにすること。棒もアカシア材で作り、金で覆うこと。箱の大きさは、縦2.5アンマ、横と高さがそれぞれ1.5アンマとされていました。一アンマは約45センチと考えられているので、換算すると、縦120センチ、横と高さがそれぞれ60センチほどになります。箱の上部には、純金で作った天使2体を向かい合わせに取り付けました。
こうして作ったアークは、モーセがイスラエルの民を率いてカナンを目指していた時代には、祭司たちが担いで移動させました。どこかに留まる場合は、幕屋と呼ばれる移動式の神殿に安置しました。アークは超自然的な力をもつと考えられていました。神がイスラエルの民にメッセージを送る際はアークの上に雲が現れます。つまり、神とイスラエルの民を結ぶ通信機器のようなものだったのです*。
* この記事を書いた人は ラエル著の本を読んだ可能性がありますね。
モーセの後継者ヨシュアの時代以降は、アークは敵と戦う際の強力な武器にもなりました。エリコの街を壊滅させるのに役立ったり、重さが数百キロあるにもかかわらず、宙に浮いて敵めがけて飛んだりしたといいます。その後、アークはイスラエルの民と敵対していたペリシテ人に奪われましたが、伝染病などの災厄がペリシテ人を襲ったため、イスラエルの民のもとに送り返されたといいます。
エルサレム崩壊後、行方不明に
時代が下って、イスラエル王国第三代のソロモン王は、エルサレムに神殿を作り、そこにアークを安置しました。しかしその後、聖書でアークについての記述がほとんど見られなくなります。さらに、イスラエル王国滅亡後に分裂した南のユダ王国が、紀元前587年、新バビロニアのネブカドネツァル王(ネブカドネザル二世)に滅ぼされた際に、エルサレム神殿も破壊され、アークの行方はわからなくなってしまいました。そのため、「失われたアーク」とも呼ばれるのです。
現在でも、アークの行方はわかりません。すでに破壊されてしまっているのかも知れません。もしどこかに存在しているなら、どこにあるのでしょう。ネブカドネザル二世がバビロンに持ち去ったのか、中世の十字軍時代に活躍したテンプル騎士団がヨーロッパに持ち去ったのか。エチオピアにあるという説もあります。紀元前5世紀~紀元10世紀に現在のエチオピアにあったアクスム王国では、初代のメネリク一世は、シェバ(シバ)の女王がエルサレムでソロモン王に会い、身ごもった息子だとしています。そのため、エチオピアの人々は、自国にアークが安置されていると信じているのです。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/movie/bible/vol5_arc.shtml
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Ark of the Covenant being carried is from the Auch Cathedral in France フランスのAuch大聖堂にあるもの


