如月隼人のブログ 

2018-02-11 15:49:33

チベット侵攻や中印戦争時の中国軍スローガン、習近平主席が改めて高く評価

 
中国軍機関紙の解放軍報は11日、「『一に苦労を恐れず、二に死を恐れず』のスローガンの前世と今生」と題する記事を掲載した。
 
同スローガンは1950年代に中国軍がチベットを制圧した際や、中印戦争(中印国境紛争)の際に用いられたスローガンで、習近平主席も使っていると紹介した。

記事はまず、1962年に発生した中印国境戦争の終結後、張国華チベット軍区司令官が毛沢東主席に同戦争の状況を報告した際に「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」のスローガンを用いて、毛主席が殊の外喜んだと紹介。

中印戦争は、両国の国境争いが原因で発生した。背景には、ダライ・ラマ14世のチベット亡命政府をインドが受け入れたことや、インドが中国と対立するソ連に接近したことで、両国関係が険悪化していたことがあった。

戦闘開始は10月20日。周到に準備を整え先制攻撃した中国軍がインド軍に勝利。中国はインドが実効支配していたアクサイチンからインド勢力を駆逐すると、11月21日には一方的に翌22日午前0時の停戦を宣言して、戦闘行為を終わらせた。

記事は、中国軍は6月から登攀訓練や高地順応などの戦闘準備を進めていたと紹介した。

記事はさらに、中国軍が1950年から1951年にかけてラサなどチベット中央部に侵攻し、中国がチベットの直接支配を確立したことにも「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」のスローガンは関わっていると紹介。

チベット駐屯の軍部隊は食料などの補給の困難に勅命した。道路建設が急務だったが、四川とラサを結ぶ康藏公路(現、川藏公路)は5000メートル以上の高山が並ぶ地域を通過せねばならない難工事で犠牲者も多発したという。担当した第155連隊第2中隊は「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」のスローガンを叫びながら、突貫工事を完遂したという。

青海省とラサを結ぶ青藏公路は比較的平坦なルートだが、高地を通るので建設に当たった将兵に高山病患者が続出した。それでも、「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」を叫びながら、急ピッチで工事を進めたという。

康藏公路と青藏公路の2ルートは1954年12月25日に同時に完成したが、工事に携わった将兵3000人以上が命を落としたという。

習近平国家主席は2014年、川藏公路と青藏公路の完成60周年に際しての訓話において「一に苦労を恐れず、二に死を恐れず」を改めて評価。
 
「軍民一家、民族団結の2本の道の精神」などと称賛した。なお、中国で用いられる「民族団結」の語は、1つの民族の内部における団結ではなく、多民族同士の団結を意味する。ここでは、主に「漢族とチベット族の団結」を指す。

中国では、殉職した軍人が「模範」として大きく称賛されることがある。西南軍区の戦車工兵大隊に属し、1965年7月に地雷の誤爆で殉職した王傑小隊長もその1人で、生前に記した日記に「われわれは『一に苦労を恐れず、二に死を恐れず』でなければならない」の言葉があったなどとして、同年11月8日付の人民日報が称賛した。

2015年7月には、軍内で「偉大なる共産主義戦士、王傑の犠牲50周年大会」が挙行されたが、そこでも「2つの恐れない精神」が称賛された。

習近平主席は17年12月、王小隊長の所属部隊を視察して現場の兵士との座談会を行った。習主席は「戦争をするには戦争をする様態でなければならない。
 
すなわち、『一に苦労を恐れず、二に死を恐れず』だ。『2つの恐れない精神は過去も、現在も将来も永遠に、われわれの貴重な精神の宝だ』と述べた。(編集担当:如月隼人)

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