地球上の生命の起源について、誰かがこう言うかもしれません。


「君の話には何ら説得力がない。そもそもの始まりがどうであったのか、説明できないのだから」


 この、始まりがどうであったのかなどというのは、愚かな問いです。


こういう問いを発するのは、時間と空間が無限であることを知らない人に決まっています。


物質には始めも終わりもありません。


あなたもご存知でしょうが、「何も失われることなく、何も創造されることなくすべてのものはその形を変えられていく」のですから。ただ形態だけが、高度の科学的レベルに達した人々の意志に従って変わり得(え)るのです。


 このことは同様に、無限にある生命レベルのどれについても、等しく当てはまります。


私たちの紋章に描かれているダビデの星はこれを表したもので、



重ね合わせたふたつの三角形は「上のものは下のものと同様である」ことを意味しています。


この6つの分枝を持つ星の真ん中に、すべてのものは循環する

ことを意味するスワスティカ


を配したのが、私たちの紋章であって、これには世界中のあらゆる知恵が含まれています

              


このふたつのシンボルが一緒になったものは、チベットの死者の書『バルド・トドゥル』を始めとして、多くの古代文献に見ることができます。



 人間の有限な頭脳で無限を知ることは、言うまでもなく非常に困難なことであり、そのために、1つまたは複数の神を信じ、その神にすべての責任を負わせることによって、時間的にも空間的にも、宇宙に限界を設けるという必要が生じてしまうのです。


 実際、宇宙に対して十分な人間性のレベルに達し得ない人たちは、無限というものを容易に認めることができません。無限は、人間を例外的な特別な存在という地位から引きずり降ろし、限りない宇宙の中の、ごく普通の時と場所に置かれた、ごく普通の生物にしてしまうからです


       「地球人は科学的に創造されたラエル

           ”神も霊魂も存在しない”の項