日経ビジネス

朴大統領の軍事パレード参加は「正統性」を認めてもらうため

潘基文事務総長は大統領選への出馬をにらむ

  • 重村 智計

2015年9月1日(火)


 中国政府が9月3日に予定する北京での軍事パレードに、朴槿恵韓国大統領に加え、潘基文(パン・ギムン)国連事務総長までが出席することを決断した。その背後には、北朝鮮政権の崩壊を視野に置く韓国・中国と、崩壊しないよう必死に抵抗する北朝鮮の激しい駆け引きがある。その一方で、潘基文国連事務総長の韓国大統領選への出馬も浮上した。


 中国は今年、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」に制定した。日米両国は、朴槿恵大統領の式典参加は「韓国が中国傾斜を強める」ことにつながると懸念した。だが、同大統領が式典に参加する真の狙いは、北朝鮮の体制を崩壊させることと朝鮮半島の統一にある

中国から正統性のお墨付きを得る

 韓国と北朝鮮は独立後「どちらの国家が正統か」を巡る対立と競争

を続けてきた。「北朝鮮に正統性がある」――と北朝鮮はもちろん、韓国の左翼系学者や活動家たちも主張してきた。


 北朝鮮建国の父である金日成首席(当時)は、「我々は日本と戦争して勝利したが、南朝鮮の指導者は誰一人戦闘さえしていない。だから、正統性は北朝鮮にある」との理屈を展開した。この主張に、韓国人はなかなか反論できなかった。80~90年代には、多くの韓国の若者がこの論理に心酔した。


 「正統性」は儒教に基づく伝統的な価値観で、政治行動や政治判断をする際に最大の基準になる。朴槿恵大統領の父である朴正煕大統領(当時)はクーデターで政権を奪取したため、「正統性がない」と常に批判された。政権や政治家が「正統性がない」と批判されると、崩壊や政治的抹殺につながる。


 今回の中国の記念式典は韓国にとって、同国の「正統性」を回復し、北朝鮮のそれを失わせる最大のチャンスである。韓国大統領が軍事パレードに出席すれば、「韓国は中国と共に抗日戦争を戦った国家」として「正統性」を与えられることになる。中国による「正統性認定」は韓国にとって非常に重要だ。


 逆に北朝鮮は、金正恩政権の基盤が大きく損なわれる。


 一方、金正恩第1書記は、式典への参加を見送る。これによって、韓国の「正統性」を認めることになる。国家存立の基盤である「朝鮮半島における唯一正統な国家」であることの根拠も失う


 この結果、金政権が崩壊に向かう恐れが出てくる。これは、北朝鮮にとって死活問題だ。このため、崔龍海書記を参加させる。国家元首の扱いを受ける金永南・最高人民会議常任委員長の出席は見送った。

北朝鮮軍の間で高まる不安

 北朝鮮の国内や軍人の間で、「中国に見捨てられた」「故金日成主席のメンツを汚された」との思いが高まっている。旧ソ連が改革に踏み出した際には、「ソ連に見捨てられた」との感情から、92年のクーデター計画に多くの将軍が参加した。同じような事態が再び起きるかもしれない。


 これが、朴槿恵大統領と中国の習近平国家主席が期待するところであり、金正恩第1書記が恐れるところである。習近平国家主席による金正恩第1書記いじめは、あからさまで激しい。朴槿恵大統領とは何回も会談しているし、韓国への訪問もした。その一方で、金正恩第1書記とは一度も会談しない。北朝鮮には1回も訪問していない。中国は北朝鮮への原油無償供与も中止した。北朝鮮は現金支払いで購入するしかない。中朝の指導者の関係がこれほど冷たくなったことは、かつてなかった。中朝外交関係は今、普通の国同士以下の状況だ。

 こうした経緯を踏まえて、朴槿恵大統領は7月、秘密の幹部会議で「北朝鮮は1年以内に崩壊する。準備せよ」と指示した

朴大統領の訪中を阻止すべく軍事衝突を起こす

 北朝鮮は中国に、「韓国大統領の式典招待の取り消し」を要請したが、中国はこれを無視した。北朝鮮にとって腹立たしいのは、式典への招待状が、金正恩第1書記より先に朴槿恵大統領に届けられたことだ。北朝鮮は、正統性に加えてメンツを傷つけられた。このため、何としても朴大統領の式典参加を阻止せざるを得なくなった。


 そこで、考えたのが、南北間で軍事衝突を起こし、緊張を高めることだった。そうなれば、朴槿恵大統領は北京に行けなくなる。具体的には、南北軍事境界線の韓国側に地雷を埋設し、韓国兵に犠牲を出した。北朝鮮は予定通り「韓国の自作自演」を主張したが、国際調査団が北製の地雷であると確認した。


 韓国軍は、発砲で報復し対北非難放送も再開した。韓国が「朴槿恵大統領の式典参加」を20日に発表すると、北は南を砲撃した。南

北による砲撃や銃撃で、緊張は一挙に高まった。韓国内では「朴槿恵大統領は、北京の式典に参加できない」との声も聞かれるようになり、北朝鮮の作戦が成功するかに見えた。


 ところが、北朝鮮は南北高官協議で「遺憾」を表明し、事態を収めた。これは、地雷爆破の犠牲に謝罪、すなわち北朝鮮の敗北を意味する。一方、朴槿恵大統領の支持率は、15ポイントも上昇し49%に達した。


 この背景には、中国から北朝鮮への圧力があった、と韓国のメディ

アは報じている。中国は、軍事的緊張が高まると同時に、北朝鮮への石油や軍事物資の販売を全面禁止した。「9月3日の式典を妨害するな。南北対話の再開を」と迫ったという。北朝鮮は、作戦変更を余儀なくされた。


 北朝鮮は南北対話に合意したが、その行方は楽観できない。韓国

は、北朝鮮に対する支援や観光を再開する条件として、「謝罪」と「責任者の処罰」を求めている。北朝鮮は2008年7月に、金剛山を観光中の韓国人女性を射殺。2010年3月には韓国海軍艦艇を爆破して、多くの犠牲者を出した。北朝鮮がこれらに対して謝罪しない限り、韓国民は納得しない。


 北朝鮮は10月10日の労働党創建記念日前に、これを祝うべくミサイルを発射すると見られている。ミサイル発射は、国連安保理決議違反なので、北朝鮮は再び制裁が課せられ、南北対話は中断となるだろう。北朝鮮はこれを避けるために、南北融和のムードを高め、国連安保理や日米韓などが強硬策に走らないように努めている


潘基文事務総長の大統領選出馬

 日本政府は、潘基文国連事務総長も抗日戦争勝利式典への参加を決めたことに対して、「事務総長の中立性に問題がある」と抗議した。韓国の報道機関は、この事実をやや抑えて報じた。同事務総長の本当の目的が、再来年の大統領選挙出馬にあると敏感に受け止めたからだ。


正統性を獲得する取り組みに参加することで韓国保守層からの支持を得られ、有利になる。もしメディアや韓国民が、日本の抗議に強く反応すれば、同事務総長は国民的英雄になり大統領選挙で最も有力な候補になる。


 韓国の大統領選挙は2017年12月に行われる。朴槿恵大統領の再任はない。潘基文事務総長の任期は16年末に終わる。大統領選挙の準備を始めるには、今は絶妙のタイミングである。


 同事務総長は、南北の共同事業である開城工業団地を5月に訪問しようとしたが、北朝鮮側に拒否されている。韓国の新聞は、大統領選挙出馬のため、北朝鮮との関係を築こうとして失敗した、と報じた。北朝鮮と対話することができる大統領候補は、左翼からの攻撃が弱くなる。



 故金大中・元大統領の夫人、李姫鎬氏が最近、北朝鮮を訪問したのも、大統領選挙がらみだった。野党勢力は、金大中派と盧武鉉元大統領派の対立が激しい。金大中派が、大統領候補選びで主導権

を握ろうと、同夫人と金正恩第1書記との会見を企図したのだ。ただし、会見は実現せず失敗した。


 こうした経緯もあり、韓国では潘基文事務総長の北京式典参加を

事実上の大統領選出馬宣言と受け止めている。したがって韓国メディアは、同事務総長と北朝鮮の崔龍海書記との接触と、同事務総長と朴槿恵大統領との会談に注目している。大統領選に向けた協力について話し合うとの観測だ。


 2年後の韓国大統領選挙は、まだ有力な候補者がいない。潘基文事務総長も「今は国連での職務を果たすだけ」と、出馬に否定的な発言をしている。与野党ともに、絶対的な人気を誇る政治家がいな

いだけに、国際的に著名な同事務総長の行動に注目が集まる。


重村 智計(しげむら・としみつ)

早稲田大学大学院国際コミュニケーション研究科・教授
1969年早稲田大学法学部卒業。1976年に韓国高麗大学大学院研究生。1986年スタンフォードプロフェッショナルジャーナリズムプログラム修了。シェル石油勤務を経て、1971年毎日新聞社に入社。1979年~1985年、毎日新聞社ソウル特派員。89年~94年ワシントン特派員。毎日新聞論説委員をへて、2004年9月より現職。

主な著書に『北朝鮮はなぜ潰れないのか』 (2007年・ベスト新書)、『朝鮮半島「核」の外交-北朝鮮の戦術と経済力』(2006年・講談社新書)、『外交敗北-日朝首脳会談の真実』(2006年・講談社)など。

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