孫崎 享さんの記事です:
Date: Mon, 29 Apr 2013 07:58:25 +0900
Subject: ボストン爆破犯、米国諜報関係と結びついていた!
ボストン爆破事件の犯人像は大体、次のように描かれている。
「ツァルナエフ一家はチェチェン出身で2002年に米国に来た。しかし、兄は米国社会に溶け込めなかった。その中、次第次第にイスラム過激派の思想に染まっていった」
この人物像で十分である。米国人は「そうか。イスラム過激派か」と思う。従ってイスラム社会に対して米国が厳しい対応をとるのは自然だと、思う。
しかし、彼が米国諜報関係をの接点があったら。見方は一変する。
ボストン爆破事件の犯人については報道されてない部分が多すぎる。
どこで爆弾の知識を得たのか。どこで爆薬の材料を集めたのか。
米国の新聞はアルカイダとの結びつきを示唆しているが、どうも方向は違ったようだ。
ボストン爆破事件の犯人は米ロの諜報戦の中に巻き込まれている。
4月25日日経は次のとおり、報じた。「ボストン爆破容疑者(兄)についてロシアの情報機関から警戒を促されたCIAの要請をうけ、国家テロ対策センターが監視者リストに2011年10月頃登録していた」
容疑者を家族が2002年頃に難民としてアメリカに移民した二人兄弟で、26歳のタメルラン・ツァルナエフと19歳のマサチューセッツ・ダートマス大学生ジョハル・ツァルナエフとした。
2002年から約10年米国に居住している者についてロシアの情報機関が米国に対して警戒を促す、何かが不自然だ。
この中、4月24日イズベスチア紙は次の報道を行った。
「タメルラン・ツァルナエフをグルジアの基金を通じて雇った」(標題:Тамерлана Царнаева завербовали через грузинский фонд)
テロ犯の一人、タメルラン・ツァルナエフはグルジアの秘密機関が米国人と一緒に行ったセミナー(複数)で学んでいた、
イズベスチア紙はグルジア内務省防諜部の文書(複数)を所有している。この文書はグルジアの組織「コーカサス基金」は以前ブレジンスキーが理事会メンバーであった米国の非営利団体ジェームスタウン(Jamestown Foundation)と協力し、北部コーカサスの住民を米国およびグルジアの利益に働くために雇用した。グルジア内務省防諜総局大佐グリゴリ・チャンツリイの内務大臣ガリバシュビリへの報告(複数)によれば、グルジアの組織「コーカサス基金」は「ジェームスタウン基金」と協力し、2012年夏ロシア領を含むコーカサス地方の若者の居住者のためのセミナー(複数)を開催した。そして2012年1月から7月までロシアに居住したタメルラン・ツァルナエフもこれら(複数)に参加した。
「コーカサス基金」はグルジア・オセチア紛争後、2008年11月7日に創設された。
「コーカサス基金」の主な任務はロシアの南部地域の不安定化、過激的傾向の強化のために北部コーカサスの若者をリクルートすることにあった。」
このイズベスチア紙報道からいろいろのことを考えさせられる。
・タメルラン・ツァルナエフは2012年1月から7月までロシアに居住している。誰が資金を提供しているか
・チェチェン関係で外国に育った人間がロシアに長期滞在するのは異常である。チェチェン人はロシア内でテロ活動に従事してきている。
・長期滞在であるから、当然、ロシアが関与を疑われる。従ってロシア側としては早期にロシアと関係ないことを示す必要があった。
・米国側がロシアとの関係を述べなかったことは、ロシアの説明を受け入れたことになる。
・タメルラン・ツァルナエフはセミナーなどで爆弾つくりの技術を身に着けた可能性が高い。
・米国の諜報機関と一時期密接な関係が深かったとみられる。
その彼が何故米国国内で犯行に及んだのか。
単なる精神異常者や、孤独でイスラム過激化に走った者の犯行以上のものが秘められていそうだ。ここでも実行犯は殺されてしまっている。真相は迷宮入りだ。
記事をシェアするにはこちらから:
http://ch.nicovideo.jp/article/ar212640
孫崎 享
駐イラン大使
外務省国際情報局長 1997年-1999年
駐ウズベキスタン大使(初代) 1993年-1996年