比婆山駅

木次線代行バス

木次線ホーム
私が乗るのは14:38発の三次行きである。その前に乗ってきた列車が14:34発の新見行きとなるのだが、折り返しの列車の乗ったのは1名のみだった。かくいうこちらの列車も14:31に到着した列車の折り返しである。入線してきたのを見ると、残念ながらロングシートである。ローカル線でロングシート、通勤通学の時間帯は利用者が多いという証かもしれないがやはり寂しい。

乗り込んだのは9名。定時に発車した。


しばらくは右手に木次線がよりそう。列車を走らせてない(2月20日より復旧)ので、レールの間には雪が残っているが、レールは雪に埋もれることのなく、いつでも走れるような状態である。これを見ていてなぜ運休なのかが理解できた。除雪するのは金がかかる。1日3往復の、しかも乗車人数がバス1台分で補えそうな超閑散線区を金をかけて走らせても、赤字が膨れ上がるだけである。

一方で、並行して国道が整備されており、道路の除雪は地方自治体もちである。車両をチャーターし運転手1人を確保すればいいだけの話である。除雪するよりはるかに安上がりである。

芸備線だって、東城-備後西城間はいつもの年なら雪で運休である。結局は同じ理由であろう。

この状況を見ていたら、走っているだけ幸せと思わなければいけないのかもしれない。


ゆっくりと走りながら木次線と別れた。今度は西城川沿いに進んでいく。これまでとの違いは、川を下っていくということと、水が瀬戸内海に流れ込むのではなく、日本海に流れこむということだ。西城川は江の川の源流の1つである。この後じっくり付き合うことになる江の川との付き合い始めでもある。

車窓から見える集落の数は少なくなったように見受けられる。やはりここは閑散線区だ。


比婆山駅に『芸備線開通80周年』と書かれた横断幕が掲げられていた。もちろん無人駅である。気持ちが嬉しい。


備後西城で1名乗車。雪はほとんどなくなった。地名的にも東城と対をなす町と思うが、東城の方が大きいようだ。

しばらく進むと小学校(地図によると西城小学校らしい)のグラウンド脇を通った。ここにも『芸備線開通80周年』の横断幕が掲げられていた。列車の本数は少ないが、地元に愛されているのは間違いないようだ。それだけでも鉄路の存在意義がある。


並行する道路にバスが走っている。しかしあちらは誰も乗っていない。しかしこれではどちらも経営が成り立つのか不安になってくる。

10名乗っていて優位に見える芸備線も、とにかく徐行区間が多い。それだけ勾配が急なのだ、ということだが、とろりとロ利の走る様子は眠気を誘う。初乗りなので寝てはいけない。

徐行の理由は落石などを発見した時にすぐ停車できるように、という安全上のものがある。逆にいえばそれだけ山が荒廃していることの証でもある。

土木関係は車両を新しくする、などといったことと違い地味で効果がわかりにくい上に金がかかる。こんな閑散線区ではそうなってしまうのもいたしかたないのだろう。


庄原着。3名下車し9名が乗車した。乗車してきたのは高校生ばかりである。

NHKが監修している本などで庄原がいろいろ里山振興などをやっているのを知っていたが、駅周辺の雰囲気は新見同様、20年ほど時代が止まっているように見える。まあ、里山振興は駅周辺とは関係がないし、庄原市は平成の大合併以降東城からずっと庄原市である。地域が生きればそれでいい。

ただ、これまでの沿線の様子やこのあたりの雰囲気から

「何かしないと地域が生きていけない」

と感じた。里山云々というのはその”何か”だろう。

ただ、庄原市自体が広すぎるとともに、庄原と新見のどこが違うのか?と思うくらいに似た雰囲気の光景が続いている。芸備線で中国山地に分け入ってからは、似たような景色がずっと続いている。かつて姫新線に乗った時なども考えてみると、中国山地の鉄道沿線はずっとこの光景だ。差別化よりも先に模倣が来たら、全部共倒れもあるのでは、そう思ってしまった。

中国山地は、大きな社会問題の中にあるようだ。


七塚で1名下車。久しぶりに中国自動車道と並進するようになった。新見-東城間では1台しか走っていなかったが、庄原-三次JCT(ジャンクション)間は2台走っていた。交通量は倍である(笑)

山ノ内駅の近くに中国自動車道の七塚原SA(サービスエリア)がある。本ではここで農産物を販売して云々なんて書いてあったが、祝日なのに中国自動車道はあの状態である。SAの利用者も限られるだろう。気勢が上がるなんてことはないだろうと思われた。


(続く)