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9回表ツーアウト1塁、バッターは1番の球道。群馬ニの中村の初球をとらえた。
「あぁ」
打球は快音を響かせ右中間のスタンドヘ消えていった。
「さすが球道タイ」
スタンドもわき返る中、ダイヤモンドを一周する球道。うつむく中村、しかし試合はまだ終わっていない。中村は顔をあげた。すると「それでいいんだ」とばかりに球道がシグナルを送った。
「あっ」
少なくとも、中西は俺を認めているのでは?中村は思った。
「何かシグナルを送ったね」
スタンドで見ていた一男も気がついた。
「点差はついているが、しっかりした試合だからな」
「立役者は中村だろ」
吉武や剣もそんな印象を持った。そして
「俺は中村がうらやましいぜ」
剣は声にならないように呟いていた。
最後の夏、なんで球道と戦えないのだろう。なんで互いの成長を直接感じることが出来ないのだろう。今の球道の凄さを肌で感じることが出来ないのだろう。
こみ上げてきた悔しさはどうしょうもない。
一男は少し寂しさを感じていた。親友だった球道が大きくなり、なんだか遠くにいったように思ったからだ。もう選手として一緒のグラウンドに立つことはないだろう。グラウンドの中と外、このフェンスは永遠に消えないフェンスのようにも思った。
クールだったのは吉武だ。ここから先、進む道が違うのは当たり前だろう。ただここまでの球道の歩んできた径に、自分達が何らかの影響を与えているのも事実だろう。それでいいじゃないか、と。
プレイヤーとして球道と差はできた。でも友達なのは間違いない。人間づきあいは、これからも何らかの形で残っていくはずだし、住む世界が違うと縁を切る球道ではないと思っていた。
「すげぇな」
サッシーは興奮していた。喧嘩もしていた親友が、甲子園の舞台でこんなにもかっこいい姿を見せている。
結花のことがあるので、大会後には小倉に来る日もあるはずだ。どんな話をしようか、このホームランでますます期待が膨れ上がっていた。
「みんな、これが今の球道タイ」
千葉大会の決勝から全試合見てきた悪道の口から出てきた言葉だ。悪道は球道と一緒に歩んできた径に誇りを持っていた。この先、どんな夢を見させてくれるだろう?まずは明日の明訓戦だ。
悪道の気持ちが通じていたのか、それとも昔からの親友だからか?9回裏の球道は
「ここからはTVで見ているだろう明訓の連中に俺の力を見せてやる。9球で終わらせる。全てストレートだ」
と決め、マウンド上に上がった。そして、連続三振で簡単にツーアウトをとった。
「なんで9回なのに、こんなに速いんだ」
群馬二の選手達から感嘆の声があがるが、中村だけは
「中西は本気を出していない」
と感じていた。実際、150kmを計測したボールはなかった。
そして予告通り、9球、一度もバットにかすらせることもなく9回裏は終わった。
「よっしゃ明訓だぜ」
球道の叫びは準決勝への宣戦布告のように響いた。
「もうあいつ、気持ちは次にいっているのか」
ちょっと寂しさも感じた中村だったが、整列すると球道が笑顔を見せた。
「楽しかったぜ」
その様子を見た主審は思った。逃げずに打たれたこと、チームで唯一のヒットを、それも2本打ったこと、これらのことは中村の今後の誇りとなるだろうと。
校歌斉唱の後、わき返るアルプススタンドへ挨拶に向かう。球道は一男達が来ていることに気づいていた。サッシーなどは金網の前まで来て
「球道ーっ」
と叫んでいる。
礼の後、球道は
「サッシー、応援ありがとうな。みんなにもよろしく」
と言った後で、後方に向けて手を振った。一男達は手を振り返した。
アルプススタンドを立ち去りながら、5人は会話した。
「いよいよ次は明訓、山田だな」
「しかし山田は出られるのか?」
「最後の球道くんの気合の入り方を見たら、山田が出られるって思っているのは間違いないよ」
明訓vs光戦の最中に、山田と球道、そして真田一球の間にあったやり取りを知っているものはもちろんいない。ただ球道は何か確信を持っているようだ、と思った。
(続く)
5月2日、便秘と吐き気でかかりつけ医に行った私は、腸閉塞の疑いを指摘され総合病院へ。そこでも腸閉塞の疑いから、入院の可能性を示された。そして私は半ば諦めて点滴を受けていた。
しばらくしてレントゲンとCTを撮りに行くことになった。自分では予想していなかったが、ストレッチャーで運ばれたのはまだ楽だった。撮影前に造影剤使用の許可をとられていたが、朝に糖尿病の薬(メトホルミン)を飲んでいる事が伝わると、造影剤を使用しないで撮影することになった。
撮影後、救急の診察室に再び戻る。何か喧々諤々のやり取りが聞こえてきた。どうやらCTの結果およびレントゲンの結果を踏まえて、血管外科の医師ら数名で議論がされているらしい。
そして血管外科の医師が走りこんできた。
「腸閉塞じゃなくて酷い便秘だわ」
一瞬ほんまかいな、と思った。と同時に入院するというシナリオはなくなったことを理解した。血管外科の医師の勧めもあり、そのまま点滴を受けることになった。
途中で説明があったのだが、疑わしい状態だったのは間違いなかった。ただ、腸閉塞じゃないという決め手となったのはレントゲンやCTもだが
①血液検査で異常が見られない
②一度吐いた後、吐き気が収まっている
③腸閉塞にしては腹の膨張が弱い
であった。そういうことを聞いた後に、私は眠ってしまった。
点滴が終わる時間になり起こされた。ここで薬(下剤)を受け取った。そして
「連休明けに身体の都合が悪ければ毎日外来に出ているのでいつでも来るように」
と血管外科の医師から指摘を受け、帰路についた。
下剤は1日朝晩2回の施用である。飲むのは晩からなので、これで便が出て快方に向かうと思ったが、考えは甘かった。
結局2日は出ないまま。腸に溜まったガスが圧迫し痛みがする。ガスが逆流し胃にくるので膨満感から食欲が出ない。そして吐き気。見た目の症状は逆に悪くなっていた。4日からは寝込むようになっていた。
少し展開が変わったのが5日だった。11時頃に便意があり、ドカドカという音と共に、いかにも硬そうな便が出た。ようやくである。
やれ嬉しやと思い、これから一気に快方に向かうと思った。しかしそれは甘い考えだった。数時間下痢気味だったが、夕方になるとまたピタンと止まった。そして痛みも、激痛に苦しむことは減ったが、腹部全体に内部から腫れたような痛みがあった。この現状から、私は7日に病院に行くことを決めた。
6日はその波が9時と早かった。やはり数時間下痢気味で、夕方には止まった。
処方された下剤は6日朝までのものだった。7日朝は下剤の効果がない為だろう。出なかった。こんな状態で病院に向かうことになった。
2日の経緯があるので血管外科を受信する。すると診察の後
「内科か外科で診てもらおう」
となった。内科と外科、どちらがいいか聞かれたが、そんなもんはわからない。外来に胆嚢摘出手術の際の主治医がいたことから外科となった。
外科で診察の後、下剤を出してもらえることになった。また、2週間後の経過観察も決定した。どちらも信頼できる医師なので、なんだか安心感があった。
その後薬局で薬を受け取り、職場に向かう。普通に仕事が出来たのは進歩だろう。
そして夜から再び下剤を飲む。下剤を摂取していなかったのは6日夜と7日朝だけなので、翌日からはまた5日のようになると思っていた。
ところが、である。8日朝も門は閉ざされたままである。この便秘がどれだけ頑固なのか、改めて思い知らされることになった。仕事中に波が来るのかと思っていたが、その様子もない。今回は数日便秘が続いた時用の、別の下剤ももらっている。9日午前も門が閉ざされたままならば、ピンチリリーフ用の下剤も投入しなければならないようだ。
上下からガスが排出されていることから、激痛は起きにくくなっている。それだから日常生活は送れているとはいえ、未だ本調子に非ずなのは間違いない。
(続く)





