千佳 今回は不気味に暖かな強風が吹いている12月15日に書きはじめました。

長戸 この暖かさの反動が怖いよな。

豚白 暖冬予報でも数日だけ豪雪ってことあるからね。それでは始めよう。

千佳 承久合戦で【新島守】後鳥羽上皇に味方した人達の処分が始まっています。


豚白 1221年7月8日、次の天皇に【擬せられた皇太子】持明院入道守貞親王がなるという話があったと記されている。

長戸 承久合戦で鎌倉方が勝った以上、【新島守】後鳥羽上皇の系統である【最短記録】仲恭天皇が廃位となるのはわかるが、【擬せられた皇太子】守貞親王って何者だ?

豚白 【新島守】後鳥羽上皇の同母兄にあたる人物だ。源平合戦の時には【波の下の都】安徳天皇の皇太子に擬せられ、平家と行動を共にしていたが、壇ノ浦の戦いの後救出され京都に戻っていたんだ。

千佳 皇太子だったけど戻ってきたら【新島守】後鳥羽天皇がいたわけだから。

長戸 皇位継承から外されていたわけか。

千佳 逆に承久合戦の結果、【新島守】後鳥羽上皇の系統を排除するから浮上した、ってことね。

豚白 まあ【擬せられた皇太子】守貞親王は天皇にならないんだけどね。


豚白 動きがあったのは皇位継承ばかりじゃない。【伽藍面】九条道家の摂政が停止され、【乱に反対】近衛家実が摂政に復帰した。

長戸 これは【新島守】後鳥羽上皇の挙兵に反対した【乱に反対】家実が罷免されていたが、復帰したということか。

千佳 臣下のトップである【伽藍面】道家さんの責任問題はわかるけど、交代だけですか?

豚白 【乱に反対】家実のように直接反対したわけじゃないけど、積極派ではないし、何より【摂家将軍】三寅の父親だからね。

長戸 なら【乱に反対】家実の復権目的だなあ。

豚白 そして【父の戒師】道助法親王の下、【新島守】後鳥羽上皇が出家している。


豚白 9日、【最短記録】仲恭天皇が退位した。そして【擬せられた皇太子】守貞親王の第三皇子が践祚、【出家前】後堀河天皇となった。

千佳 【最短記録】仲恭天皇の退位はわかったんですが、なんで第三皇子の【出家前】後堀河天皇が践祚したんです?上の兄弟がいたんじゃないの?

豚白 【新島守】後鳥羽上皇は自分の系統で皇位継承すべく、他の系統の皇族をどんどん出家させていたんだ。それで承久合戦の頃には、出家していない他の皇族というのがほとんどいなくてね。

長戸 つまり【出家前】後堀河天皇は貴重な出家していない皇族だったから天皇践祚となったわけか。

豚白 寺に預けられていたけど、まだ正式な出家はしてなかったんだ。

千佳 正式な出家はしてないってことは、まだ少年だってことですよね。いくら公家達が支えるっていっても少年天皇で大丈夫なんでしょうか?

豚白 院政の時代となって以降、大事なのは天皇位よりも皇族のトップというべき治天の君だ。この治天の君に【出家前】後堀河天皇の父親である【擬せられた皇太子】守貞親王が法皇となって役目を行ったんだ。

長戸 逆にいえば、【擬せられた皇太子】守貞親王は天皇にならずして治天の君になったということか。

豚白 【擬せられた皇太子】後高倉院という。


豚白 さて、皇位は定まったしその他の話を見ていこう。承久合戦で乱の首謀者とされた公卿達がいた。

千佳 【新島守】後鳥羽上皇に責任を押しつけられた人達ですね。

豚白 その1人の【辞世は漢詩】葉室宗行は【先に落命】小山朝長に連れられ鎌倉に向かっていた。その途中、菊川で辞世を残している。10日の話だ。

長戸 辞世だけで落命は?

豚白 まだだよ。同じように【何度も諫言】葉室光親は【石和五郎】武田信光に連れられ東に向かっていた。

千佳 【式目制定】北条泰時さんによって預り人となった人達が連行しているんですね。

豚白 【石和五郎】信光は駿河で幕府の使者と会い、死刑の命令を伝えられた。

長戸 運命定まったか。

豚白 12日、【石和五郎】信光は籠坂峠で【何度も諫言】光親を殺害した。【何度も諫言】光親は才能に優れ、忠義者として知られていた。【新島守】後鳥羽上皇を何度も諫めていたが職務上院宣を書かされていた。

千佳 院宣さえ書いていなければ、ですね。

豚白 後日事実を知った【式目制定】泰時は後悔したという。

長戸 でも戻らないからな。

豚白 13日、駿河で泣いている【何度も諫言】光親の人足と【辞世は漢詩】宗行が偶然会い、【辞世は漢詩】宗行は事を知った。

千佳 この流れだと・・・

豚白 14日、【辞世は漢詩】宗行が殺害されている。最期の時は念仏を読経していたという。


豚白 というわけで、今回はここまで。

長戸 敗者の運命、厳しいな。

千佳 歴史の宿命とはいえ、ですね。