『大甲子園』、室戸学習塾のスピンオフ、京都見物中の犬飼知三郎と朝永数正について書いていました。


練習開始予定時刻になった。

『知三郎は来なかったか」

しかし甲子園でベンチ入りしたメンバーは全員来た。これなら秋季大会は出れそうだ。

「さあ、いくぞ」

朝永達がグラウンドに出ると

「遅かったな」

知三郎がそこにはいた。

「知三郎」

「俺は犬飼小次郎と武蔵の弟だぜ。やめるわけないだろ」

再び甲子園を目指す日々が始まった。


里中からホームランを打ったことで朝永は自信をつけていた。夏の大会ヒット1本の選手が、秋の大会にはチームを引っ張るバッターになっていた。

エース知三郎が簡単に失点を許さないのは相変わらずだ。しかし監督が違った。夏のレギュラーは徳川監督に徹底的に鍛えられていたが、新たにレギュラーになった選手達はそうではなかった。ミスから失点し敗北。選抜への夢は破れた。

知三郎は自分の”ゼロの神話“を支えていたのはチームメイトの守備力であったことを思い知った。


「甲子園、また行きたいな」

「行きたいじゃなく、行く、だろ」

知三郎や朝永ばかりでなく、棟方など甲子園メンバーがその気になっていた。

学校の特性上、練習時間は限られる。各々がより効果的な練習を求め努力を惜しまなかった。

「いいチームになってきたな」

知三郎は思った。これなら、徳川監督抜きでも甲子園を狙える、と。


学業の成績は好対照な結果となっていた。知三郎は完全に野球の奥の深さにハマってしまい、勉強が疎かになっていた。そういう選手も何人かいた。

一方、朝永の様に野球がいいリフレッシュとなり、成績が高度安定するものもいた。


全国で進学校の部活が高校2年までという例が多い。室戸学習塾もそうだった。2年の夏は最後の夏になる。

エースの知三郎は好投。打線も知三郎が出て朝永が返すというパターンを組み、前年よりも攻撃力は上回った。県大会決勝へと勝ち上がる。

決勝の相手は土佐丸。武蔵や犬神が抜けた後なので組みやすし、という気持ちが知三郎や朝永にあった。しかし、である。

「あの1年生、凄いな」

「ここまで温存してきた、ってことか」

武蔵や犬神が抜け、ユニフォームも変わった土佐丸。新生土佐丸を象徴するような1年生ピッチャーがマウンドにいた。

「くそう、データがねえ」

室戸学習塾は知三郎を中心に相手を分析して勝ち上がっていた。未知数の1年生桂の前になかなかチャンスが作れない。これが焦りに繋がっていた。

焦りはミスを呼ぶ。鍛えてきたはずの守備がほころび失点してしまう。土佐丸は終盤、継投で室戸学習塾をかわした。1−0、土佐丸が甲子園出場を決めた。


2年の夏が終わり、受験に専念するからと退部する者もいた。秋の大会を最後という者もいる。戦力のダウンは避けられない。

知三郎も朝永もチームに残った。戦力ダウンはしたが、エース知三郎の成長が上回り四国大会に高知1位で出場を決めた。

しかしなんということだろう。四国大会1回戦、クロスプレーで知三郎が負傷。エース知三郎がいなければ戦いにならない室戸学習塾である。敗れ去ることになった。


試合後、朝永が知三郎に

「俺は引退しない。まだ完全燃焼していない」

と言った。

「俺もだ」

室戸学習塾としては異例の3年の夏、2人は残ることになった。


そして迎えた夏、2人には鬼気迫るものがあった。ゼロの神話復活か?とばかりに完封を続ける知三郎。チャンスで期待にこたえる朝永。室戸学習塾は3年連続で高知大会の決勝へと駒を進めた。

対戦相手は因縁の土佐丸である。去年抑え込まれた桂が2年生エースとして君臨していた。


試合の均衡が破れたのは4回裏だった。大飛球がライトスタンドに吸いこまれた。

「里中に比べたらお前なんて大したことないんだよ!」

打った朝永は吠えていた。

「これで勝った』

知三郎は思った。土佐丸打線は徹底的に分析してある。


そして1時間後、試合は決着した。

「やったぞ、知三郎」

ウイニングボールを掴んだのはファールフライをキャッチした朝永。その為歓喜の輪が出来たのはかなりファースト寄りになった。

「甲子園だ〜」

1年生の夏とは違う喜びがあった。


(続く)