『大甲子園』に出れなかった選手のスピンオフ、ラストを飾る具志堅編、今回で大団円です。


東日パルプに敗れた日から3年の月日が流れた。具志堅は松尾電機のエースとなり、都市対抗野球に出場していた。

「社長、落ち着いてください。試合開始まであと5分あります」

「私の時計ではもう開始時刻だが」

「社長の時計が狂っているんですよ」

松尾電機の社長がソワソワするのもわかる。今日は決勝戦だ。松尾電機にとれば初の決勝でもある。

5分後、マウンドには具志堅の姿があった。

「今日勝って、初めて恩返しになる」

具志堅はストレートを投げこんだ。


(完)


以上になります。具志堅を一連のスピンオフメンバーとして、プレーヤーとして最大の成功者にした理由は、選抜ベスト4は伊達じゃないということ。もっといえば、石垣島は選抜ベスト4に値するチームだったことを証明したいからでもあります。

石垣島が負けた時の様子からしても、プロ志望の具志堅をどうやってプロに行かせないかが重要でした。大学進学は、河地の話を書いている時に思いついたもの。ただ、山田との勝負でお金にこだわっていた具志堅なので、金銭的余裕はなさそう。ドラフト終了後まで待っていて特待生という破格の待遇をしてくれるということで、地方大学進学となりました。まあ、その時に桜島大学を思いついたということで。

次に考えたのは、大学時代にドラフト指名されなかった理由である。河地の話で具志堅が河地と一合に全国の舞台で勝つシナリオにしたので、大学では結果を残したことになる。

「山田と戦いたい」

という、明確なプロ志望の具志堅なので、自分からプロを拒否するのもおかしいわけですし。

プロに行かない分、社会人で野球をしてもらうつもりでした。『大甲子園』に絡む漫画にの社会人野球の会社を検討していると、『ドカベン』で選抜前に松尾電機が岩鬼を卒業後、ノンプロ松尾電機に入団させようとした話を見つけました。岩鬼は後にダイエーと巨人から1位指名を受け、ダイエーに入団。つまり松尾電機の目論見は失敗に終わったわけです。まあ、岩鬼は場合は外堀から埋めようとしても、岩鬼の親父はもちろん明訓の太平監督も裏金なんか受け取らないでしょうし、岩鬼自身の兄に対する感情が、母親が倒れた際に駆けつけもしなかった(自分よりもかわいがられていた筈なのに)ことから、良いものである筈がないので、失敗は当然でしょうし。

一方具志堅はそういう環境にないですし、桜島大学がとれば初めてのドラフト候補だろうから、指導者は裏金に飛びついてきそう。両親も、具志堅のお金に対するこだわりから、そんなに裕福ではないと思われるので、裏金に飛びつくと判断しました。外堀が埋められ、ドラフト指名されなかったという形です。

ただこのままでは具志堅が不憫な上、具志堅が今後野球をする動機に欠けることになります。やはり最後までしっかり野球をさせるには、と思った際、月並みですが故障させたわけです。そして故障した具志堅を松尾電機がしっかり支えることでは具志堅と松尾電機の間に信頼関係ができたことにしました。


さて、スピンオフが終わりここからは『大甲子園』本編への私的読み方になります。


『大甲子園』関連の漫画では、『一球さん』ぐらいにしか出てこない組み合わせ抽選会。ただ、選手たちが一同に介する場ですからね。今回描かれたのは必然だったと思います。

そして準備中に到着した犬飼知三郎(室戸学習塾)。高知大会の決勝戦が組み合わせ抽選会の前日にずれ込んだからという結果ですが、ちょっと移動を書いてみましょう。


仮に高知大会決勝戦が13時開始と仮定して、閉会式やらなんやらを考えると、球場を出れるのは17時を過ぎるでしょう。そこから準備等をしても、当日中に岡山まで出るのは難しいですね。もちろん当時は明石海峡大橋はもちろん、瀬戸大橋もない上には高速バスも今のようにはない時代です。先行する知三郎は室戸に戻らず、いったん高知市の自宅に帰ったのではないかと。

そして組み合わせ抽選会の間に合うためにありえる手段としては、土讃本線に夜行の鈍行があり、早朝に高松に着きます。そこから宇高連絡船、宇野線、山陽新幹線と乗り継げば、準備中にかろうじて到着可能と思います。

とはいえ決勝戦の後こんな移動をしていては、やはり体はしんどい。抽選会までの間寝かせてほしいというのも本心なら、自分の抽選に終わった後寝てしまったのも当然でしょう。

組み合わせ抽選会までの時に海の上だったチームメイトについては、試合終了後に室戸に帰り準備をして、早朝バスで徳島に出、そこから船に乗ったものと思われます。タイムテーブル的にも、間違いないと思います。


さて、次回に続きます。