『大甲子園』に登場しなかったキャラのスピンオフ、桜ヶ丘・春山編の続きです。


それから春山は受験勉強に勤しんだ。疲れた時、気分転換にベランダに出た。球道と会うこともあった。球道をいろんな思いを持っていることも知った。多分自分しか知り得ないような話もあった。2人はライバルから親友に戻っていた。

そして春山は地元の国立大学に見事現役合格した。

大学ではさすがに選抜ベスト4なんて経歴を持つ選手は春山だけだったので、早くから試合に出た。大舞台とは無縁だったが、自分としては満足だった。

そして社会人1年目、球道から連絡がきた。


「球道くん、日本に帰ってくるんだ」

「ロッテに世話になる予定だ」

「そしたら、マリンスタジアムに応援に行くよ」

やがて関係は、春山の中ではプロ野球選手とファンの関係に変わっていった。

とはいえ、球道とは相変わらずの友人関係でもあった。春山27歳の時、結婚。結婚前に

「ボクの友人って野球やっているのが多いから、11月披露宴なら出やすいんだけど」

というと、妻は認めてくれた。ダメもとで招待状を送ったら、新郎の友人として球道が出席した。まさか現役のプロのピッチャー、それも奪三振のタイトルホルダーの出席とあってちょっとした騒ぎにもなった。妻の家族もロッテファンになった。

29歳でこどもができた。男の子だった。

息子が物心ついた頃から野球を見に連れていったので、自然と野球ファンになった。

「球道かっこいい」

1番のお気に入りは中西球道のようだ。


ある日、息子に言ってみた。

「お父ちゃんはな、高校生の時に球道からヒットを打ったんだぞ」

「え、ホント?」

高校3年の夏、千葉大会準々決勝。1安打完封された。けど球道のストレートをセンター前にはじき返したのは事実だ。

その日以来、息子の自分を見る目が変わったように感じている。


(感想)

春山でスピンオフを書こうと思った時から、平凡な人生、平凡なサラリーマンにしようと思っていました。それが似合うキャラですから。だから最初にラストシーンがあり、そちらに向けて流れを構築していった感があります。

ただ、冷静に考えるとそうなるのが難しい選手でもあります。名門桜ヶ丘で1年夏からセカンドのレギュラー。2年春の選抜ベスト4の戦績。春山を含めた山田世代はドラフトの目玉が多いようですが、ドラフト1位レベルは山田、岩鬼、殿馬を除けばピッチャーばかり。甲子園上位校をみても、セカンド、ショートは人材を欠いているんですよね。春山は世代屈指のセカンドとして、進学にも困らない能力はあります。つまり、ハイレベルな野球を続けても全く不思議はない。

そんな春山に引退を決意させるとしたら、やっぱり球道の存在が大きいと思っていました。そう思っている時に、ヒントとなったのが松坂大輔。本で読んだだけの知識ですが、高校時代松坂と対戦した選手の中には、充分プロに行く実力がありながら

「プロで活躍できるのはああいう選手なんだ」

と野球を諦めたものが何人もいたとか。それら選手にとっての松坂大輔の存在が、春山にとっては中西球道だったのではないか?と思い至りました。そして春山にとれば、球道は友人なだけに辛さもあっただろうし、スッキリと辞められたようにも思えます。

書いていて、春山と球道のエピソードが沢山思いついたのですが、それはいずれも夏の甲子園の後の話。『大甲子園』の準決勝が終わってから、書くかもしれません。(そこに至るのがいつになるかは不明(笑))


さて、次の話に移りましょう。明訓四天王と5期続けて戦った選手、東海の雪村です。なお、5期続けて戦ったのは不知火と雪村しかいないという、貴重な゙存在です。


東海 雪村

5点差を追いかける9回裏、ツーアウト2,3塁。4番風野の右中間への打球を、明訓のセンター香車がランニングキャッチ。

「終わった」

東海のエース雪村はその瞬間空を見上げた。

「結局、勝てなかったか」

1年生の時から5回目の戦い。4回は雲竜という強い味方がいた。今回はいない。雲竜がいない分だろうか、5点差は過去最高の点差だった。

「さあ、挨拶だ」

悔しがるのは後でいい。自分は東海のエースでキャプテンだ。最後まで、自分がしっかりしないといけない。

「礼」

「ありがとうございました」

あとは応援団に礼だ。そう思う雪村に

「どやせっそん、5回負けた感想は」

背後から声がした。岩鬼の声だ。振り向き言葉を交わそうとすると

「君い、校歌斉唱だろ」

注意される岩鬼だった。


(続く)