青田の話を書いているうちに、博多どんたくの話になっていた。松尾商戦の終盤である。
なお前回の通り。松尾商の選手名はこちらで命名させていただいたものである。
「タイム」
この試合初めてのピンチに博多どんたくのベンチから伝令が走った。
「伝令か、助かった」
北原は思った。ここまで力投してきた。さらに3塁まで全力疾走した。さすがに息があがっていた。呼吸を整える事が出来た。
「ん」
その様子の横目で博多どんたくのキャッチャー一男は見ていた。
「まあここは4番だしランナーはピッチャーの北原だ。小技はないだろう」
などと片平ら野手が言っている。
「そうだな」
剣も賛同した。が、一男は
「剣は左です。ランナーは見にくいし、とにかく1点ということで、仕掛けてくるかもしれない」
「慎重だな」
「それに休みをあげちゃいましたからね」
「あ」
もともとはキャッチャーだった吉武が最初に一男の言葉の意味を理解した。伝令で時間を与えたのは自分達である。
「頭に入れておこう。バックホーム体制で」
「ああ」
そして笑顔で分かれた。北原はその様子を見ながら
「大和田(一男)と土井垣(吉武)の表情を変えさせる事ができればこっちの勝ちだ」
あいつらは俺を忘れているだろう。しかし俺は忘れていない。あいつらの性格も覚えている。
「監督、サイン頼みますよ」
おそらく一男ならスクイズも頭に入っているはず。
初球はスクイズ警戒で外してきた。2球目はバントのしづらいコースにストレートが投げられた。ワンボールワンストライク(この時代なので本当はワンストライクワンボールと表記せねばならないが)である。
2球目の時にサインが出ていた。3球目で仕掛けるサインである。今出ているのはダミーのサイン。ダミーのサインを一男は見てこちらの様子をうかがっているはず。
「よし」
北原はこれまでよりも1歩大きくリードをとった。剣がセットに入った。
「よし」
ここからは牽制はない。そう判断した段階で北原はスタートした。このタイミングならばたとえ外されてもホームスチールできる。その覚悟があった。
北原のスタートを見てファースト、サードが突っ込んできた。スクイズだ、博多どんたくの選手達がそう思ったが
「うち(松尾商)の4番椎木はチームで1番バントが下手だが、チームで1番バットコントロールがうまい」
策には裏付けがあった。スクイズ警戒でインコースのストレートとわかっているのだ。バットに当ててくれる。軟式野球ではよく使われる『ランナー3塁でのエンドラン』が松尾商のとった作戦だった。
「えっ」
一男には一瞬何が起きているのかわからなかった。北原が走っているのに椎木が打つ?
一男での一瞬の隙は、他の選手ではもっと大きな隙になった。詰まったライナーだったが、反応が遅れた。
「マズい」
吉武が飛びつくがワンバウンドした。
「うおおお」
ホームインした北原は叫んでいた。
8回表、博多どんたくはツーアウトから一男が二塁打を放つが、剣は北原のカーブにタイミングがあわず凡退。いよいよ9回となった。
「9回が5番からとは、こっちにツキがある」
北原は思った。ライバルと思っているのは剣、一男、吉武、サッシー、悪道だ。ライバル=実力を認めている選手だ。5番からというのは、この5人に1番まわらない打順である。
「よし」
簡単にツーアウト。
「7番センター酒森君」
サッシーは失点の責任を感じていた。
「さあ、こい!」
北原は思った。ここでサッシーを打ち取って勝てば1番気持ちがいいだろう。それに、小学生の頃に意識したライバル達に勝つ事の証明である。ただ、サッシーは燃えているだろう。ここで打たれると、博多どんたくに勢いを与えるかもしれない。
「確実に勝つには、だな」
北原はサッシーとはまともな勝負を避ける事にした。
「ちくしょう、逃げやがったな」
1塁に向かうサッシーが思わず叫んだ。
「なんとでも言え。チームが負けて泣くのはお前らだ」
北原は心の中で呟いていた。
「8番は駄目根か」
この段階で勝負が決していた。2分後、両チームは整列していた。北原ら松尾商の選手達が笑顔であふれる一方で、博多どんたくの選手達は肩を落としていた。悪道とサッシーは泣いていた。
「礼」
「ありがとうございました」
さて、次回はこの続きを、今度は悪道とサッシーをメインに書いていきます。