前回までに、『航空学校編』の水島学生フェイルの頃までについて書いていました。


まあ前回も書きましたが、『航空学校編』は北海道十勝地方の空からのビジュアルと大河内教官で持っていたのは間違いないですね。釧路までのフライトのはシーンは胸アツでした。


柏木が東大阪に来た時の話もよかったですね。まあ、まず舞が小悪魔というか無神経というか(笑)両親にしっかり伝えていないし。まあ、伝えたら伝えたで、お父ちゃんは心中穏やかじゃないだろうけど。

で、お父ちゃんは明らかに不機嫌だったのを、柏木の本気と誠意でクリアしたかと思ったら、舞の部屋に入ったら窓の向こうに貴司・・・しかも舞の心を支えた短歌の作者ときている。こりゃあ心中穏やかじゃないですよ。ムキになるのもわかるわ。

そこでお父ちゃんに呼ばれ、2人でサシ飲みしたと思われます。おそらく2人だけの会話があったことは想像がつくわけで。


リーマンショックの影響で博多エアラインへの入社が遅れ、舞は五島に行ったわけですが、個人的には航空学校でフェイルして行ったのならばよかったのに・・・と思いました。ここから先書く話となりますが、挫折を書く筈が、あながちフェイルしなかった事によって、マイナスの話は全てリーマンショックが担う事になりました。たしかにリーマンショックはそれだけの問題だったけど、「挫折→癒しと再生→次の試練」の方が、五島という場所の意味も大きくなるかと思います。


この五島での話といえば、やはり朝陽くんですよね。朝陽くんについては、私の周囲の人間誰もが、幼少期の私に似ていると言っていました。何より自分が、朝陽くんを自分の様に思いましたね。

まあ、私の場合の興味は朝陽くんの様に宇宙ではないので、縁側に宇宙を広げる事はなく、縁側に広げていたのは地図でしたが。(文字は地図で覚えた)


ただ、自分が朝陽くんと大きく違っていたのは、周囲の環境でした。五島に来る前の朝陽くんは、都会の学校に通い、周りと打ち解ける事が出来ず、朝陽くんのお母さんも非常に悩んでいました。

一方私は全校生徒100人未満の小規模校の出身です。結局物心ついた時から、子供同士も大人もプラスの面もマイナスの面も「個性」として認めてくれた。そしてそのプラスの面をもっと引っ張り出す様な大人(先生)に恵まれました。そこに大きく違いがありました。

まあ、こんな事は今だから言える話ですが。


話を朝陽くんに戻します。朝陽くんは五島に来た。五島の環境や周囲の大人達を思えば、何らかの理由で環境に馴染めれば子供時代の自分よりも素直かつ立派になれると思っていました。だって私と違い、溶け込めない辛さを知っていますからね。

わざわざ登場した朝陽くん、今後重要な存在になると期待していました。


そうそう、縁側で朝陽くんを取り巻く舞と貴司、えも言われぬ雰囲気がありました。まるでお互い空気の様に自然に其処にいて・・・このシーンを見て、舞と貴司が将来家庭を持つと思いました。多分、お互い他人ではこれに勝る安心感を得るのは無理。

逆にいえば、柏木をこの後どのようにフェードアウトさせていくのか、と思いましたね。


お父ちゃんが倒れ、舞が東大阪に戻ってからのリーマンショックとの直接対決。やはり印象に残っているのはお父ちゃんと悠人のシーンですね。リストラや工場の縮小を頑なに拒むお父ちゃんと、損切りを主張する悠人。このシーンはたまたまうちで親父と一緒に見てて、親父は

「息子(悠人)は投資家だからああいう事が言える」

とか言ってたけど、自分は

「投資家もクソもない。損が大きくならないうちに撤退しないと、最悪全てを失ってしまう」

と思いました。つまり悠人寄りの考えです。

悠人が損切りに言及できるのは、確かに投資家としての経験からかもしれません。ただ、お父ちゃんが損切り出来ないのは、夢へのこだわり以上に、イワクラがここまで大きくなってきたのは何故か?という成功体験だったような気もしています。

いずれにしても、バブル崩壊でもリーマンショックでもコロナ禍でも、成功体験へのこだわりがマイナスとなった企業が多かったわけですが。


(続く)