さて、前回の続きである。
2009年夏 日本航空石川
応援リーダーがパイロットの格好をしていたり、学校の略称である”JAA“をコールする事が多いなど独特の応援が見られた。私は特に応援リーダーの姿に魅了された。
ところが、である。8回に対戦相手の日本文理打線が爆発。点差がどんどん開いていく・・・7回まではどんな局面になろうともみんなを鼓舞していた応援リーダー君の心が折れたのか、声が出なくなってきた。
リーダーの異変に気づいた他のメンバーがリーダーの周囲に集まり、リーダーに声をかけはじめた。まるで
「お前がここまで引っ張ってきた。そのお前が諦めてどうする」
と言っているかのようだった。
一時的に気落ちした彼が気を取り直すと9回、日本航空石川が反撃、3点を取った。
試合は結局12―5で日本文理が勝利したが、非常に考えさせられる試合だった。
「諦めたらそこで試合終了」
それは選手だけの話ではない。応援団も同じ事、まして応援団の象徴のような人間の場合全体に影響が及ぶ。
1990年の自分と照らし合わせて思った。
2010年春 敦賀気比(天理)
試合の終盤になると、敦賀気比の応援団がスタンドのゴミを回収していた。素晴らしいマナーだと感心すると同時に、試合後校歌斉唱の時までゴミの回収をしていたので
「今は回収しないで喜びなよ」
と思った。
あと、回収中によろめいた女子高生に抱きつかれた。女子高生に抱きつかれたのはこれが唯一の経験である(笑)
対戦相手の天理のチアが遠目でもハイキックとかしているのがわかった。ただ、メディアが近くにいると極端に動きが小さくなっていた。メディアはチアをローアングルで撮影するからなあ。
あれは盗撮と変わらない、と思ったものだ。
2010年春 花咲徳栄
私は対戦相手の嘉手納のアルプススタンドにいた。試合開始前、花咲徳栄のアルプススタンドから朗々と『オーメンズ・オブ・ラブ』が聞こえてきた。選抜の清々しい空気と相まって、とっても感動したものだ。
それと同時に私は高校時代の自分の無知を恥じた。というのは、さんざん書いた”Massa氏の無茶ぶり指揮“の無茶ぶりで、唯一
「こんな曲で野球の応援ができるか」
と否定した曲が『オーメンズ・オブ・ラブ』だったのだ。
応援に使えない曲などない。応援のやり方次第だ、と思ったものだ。
2010年夏 いなべ総合
何度か書いた様に、マナー違反の一般応援の人間がいて、不快な気持ちになった時。しかもなぜか部外者の自分が(いなべ総合の関係者に)疑われたし。
当時のことを詳しく書くと胸糞が悪くなるので書かないが、応援マナーについて非常に考えさせられた試合だった。
あと、初出場校や久しぶりの出場の公立校では時々あるのだが、一般応援団(応援とも言いたくないが)が勝手にお祭り気分で応援を無視していろんなことをやらかすが、周囲には不愉快だし、地域の恥を撒き散らしているだけというのは理解してほしい。
2011年春 東北
未曾有の大災害だった東日本大震災。それからまもなく行われた選抜高校野球。後に放送されたドキュメンタリー番組では、高野連と毎日新聞社(主催者)は、東北が出場できないようなら大会を中止にする方針だったという。
そして開催された選抜高校野球。大会6日目の第1試合に登場した。もちろん応援団は来れないが、私もそうだが「東北を応援したい」という一般人と、東北を友情応援する高校でアルプススタンドは満員になった。
満員になったが、音頭取りがいない。気持ちだけが空回りしているような時間が過ぎていった。
それでも9回、みんな総立ちで拍手を中心とした心温まる応援の空間がそこに出来上がった。
温かい、優しい空気に包まれたアルプススタンドだった。
2011年春 九州国際大付
当時九州国際大付の監督だった若生氏が以前に東北の監督だったこともあり、東北の友情応援もしていた九州国際大付。応援団は2試合続けての応援となったわけだ。
震災直後のこの大会では、鳴り物を使った応援は禁止(当然吹奏楽部は楽器を使った応援が出来ない)され、チアガールもポンポンを持った応援は出来なかった(ポンポンを使わなければ、チアガール自体はいてもいい)。そんな中であったが、アルプススタンドにいる売り子達が
「九州国際大付のあれ、かわいいね」
と言い合っているのを小耳に挟んだ。動きが制限されているのに「かわいい」?不思議に思ったので席を立ってチアガールを見に行った。そしたら納得。
九州国際大付のチアガール達は、野球部の控え選手達が口ラッパで叫ぶ応援歌や、通常の応援にあわせ、指を動かすような振り付けをしていたのだ。それが確かに「かわいい」のだ。
制限をされた状況であっても、工夫次第でいい応援が出来る。それが理解できた瞬間でもあった。
以降続く、である。