甲子園の薄暮について、観戦での経験を基に書こうとしていた。

101回大会の八戸学院光星vs海星を3塁側アルプススタンドのレフト寄り前方(下段)で観戦した。下段なのでフィールドに近い。少しは参考になるだろう。ただ、薄暮の時間帯は内野の照明が入る事が多い。外野席に近い場所なので内野の照明の影響がないので、参考程度に思ってもらえばいい。
私の視力は当時1.0と0.6だったが、雑誌(『週刊朝日』の大会増刊号)をチェックしようとしたが、18時過ぎで大きな見出ししか読めない位である。甲子園球場はすり鉢状になっており、下段やフィールドは真上以外の光の影響を受けづらく、上段や外より暗い。そのくらい見えづらい。
テレビでの観戦しか経験のない人は、甲子園球場の照明をつけるのが早いように感じられるだろうが、上段と下段では1時間時の進みが違う、と言っていい程違いがある。

また、甲子園球場では時々妙な公平の原則が働く。照明を点灯させるタイミングだ。
仮に、薄暮入りかけで5回表を無灯火で行ったとする。すると5回裏も無灯火となる。上空に雲が流れかなり暗くなる時もある。それでも原則無灯火である。以前何らかのメディアで
「攻撃の機会を均等にするため」
と言っていたが、個人的には首を傾げる話である。
まあ、この件についてくどくど書くと『光と影の高校野球』になってしまう。ここは“同一イニングは照明環境について同一に行われる”ということを頭に入れておいてもらいたい。

さて、これらを念頭に明訓vsBT学園戦を見てみよう。

この試合、先攻が明訓、後攻がBT学園である。つまり明訓の攻撃時に点灯されていなかったので、BT学園の攻撃時の点灯はあり得ない。土井垣監督及び明訓はそれがわかっていないのか、半ば抗議じみた事をしている。見苦しい。
これは冷静さを失っている事の証明である。その究極が、平静さを装っている山田が打撃妨害という大ポカをやらかしたという事だと思う。
ここまで書いて思った。BT学園はよく甲子園を調べている。特に照明についてだが、同一イニングの照明環境といい、後述するが隼投法といい、である。甲子園で11試合戦った明訓よりもそこは確実に優れている点だ。

甲子園の照明を利用した隼投法。今は照明の場所が変わっているので軌道が違ってしまう。それはさておき、隼はどこでそれを知り得たのだろうか?そして、実践できるようになったのだろうか?謎である。
そんなBT学園が、勝ちを意識して負けていく過程が残念だった。

さて、次は弁慶vs土佐丸について書いていきたいと思う。

昨夏ベスト4、春準優勝の土佐丸だが、義経を打てなかった。それに尽きる。140kmのストレートを持つ義経は確かに好投手だが、打てなかった。
140kmごときで何を言っているのか、と思う人もいるだろう。今年の選抜においては最速149kmを中京大中京畔柳、市和歌山小園と2人が記録し、140kmを計測したピッチャーは34名(参考資料『報知高校野球』)いた。それから見れば140kmぐらい、と思っても仕方がない。
しかし時代が違う。私の記憶では、平成2年夏の甲子園で140kmを計測したピッチャーは天理の南等2名で、3位の大野正津ですら139kmだった。正津は後に社会人を経て中日に入り、中継ぎで大活躍するピッチャーである。それが139kmである。
そんな中、140kmを投げる義経は間違いなく好投手である。(とはいえ、土佐丸打線は選抜に比べ脆すぎるが)

土佐丸打線を脆いと書いたが弁慶も人の事は言えない。経験不足もあると思うが、とにかく打てない。犬神のボールに腰がひけてしまっている。犬神は技巧派なのだが。
だいたい弁慶の選手名を見ていると打てそうにない。源義経が元ネタの義経と、武蔵坊弁慶が元ネタの武蔵坊はいいが、後はなんじゃこれレベルである。(トップの富樫は安宅関守からだが)源義経の郎党が元ネタの選手がもっといても良かったと思うが。
なぜこんな事を書くかといえば、私が『私見源氏三代』等を書いている、つまり日本中世史への興味が深いというのは勿論ある。ただ、後日(といってもかなり後)に書く事になる紫義塾と違い、総合力の高さを弁慶から感じないのだ。それはつまり、キャラが立っている選手が少ないからだろう。
総合力の高さを感じないので、ただ義経が抑え、武蔵坊が打つチームにしか見えない。後は武蔵坊にオカルトに近い能力を感じるだけ、というものである。
その能力で犬飼武蔵のホームランを阻止したのだからなおさらだ。

武蔵坊のオカルトにも近い左腕の話で、大事な話を抜かしてしまった。次は江川学院の中について書きたいと思う。