千佳 こんにちはー、って反応がない。今回はお昼過ぎに集合って話だったのに・・・(奥に入る)・・・反応ない訳だ

長戸 ういーす。あれっ、先生は?
千佳 寝てる・・・
長戸 本当かよ・・・しょうがない、待つか・・・(そのうち2人とも寝る)
荀攸 ああ、よく寝た。お、こんな時間か。・・・何、寝てるのか、全くしょうがないなあ。
長戸 あんたが先寝てたんだろ。
 
荀攸 1190年11月22日は雪となった。六波羅に【廉直な貞臣】吉田経房が院宣を持ってきた。【落馬】源頼朝を大将に任じるというものだった。【落馬】頼朝は「大納言は身の程をわきまえ辞退したのに、重ねて大将に任じられた事は、何とも申し上げようがありません」と返書した。ときて、2人の意見を聞きたい。
千佳 いきなり何です。
荀攸 ここに資料が2つある。読んでみて。
千佳 こっちは・・・【廉直な貞臣】経房さんを介して【今様狂い】後白河法皇が【玉葉】九条兼実さんと相談した。【今様狂い】後白河法皇は【落馬】頼朝様を大将に任じたいと思っていた。【玉葉】兼実さんは【落馬】頼朝様の書状を見て異義はないことを伝えた。ですか。
長戸 こっちは全然違うぜ。【廉直な貞臣】経房を介して書状は【玉葉】兼実に届いた。大将に任じられたのは【玉葉】兼実の意向と気づいた【落馬】頼朝に「その通り」と伝えた。だぜ。
千佳 全然違います
荀攸 原文に主語が欠落しているから、主語を誰にするかで変わってくるんだろうね。
長戸 うーん、そうだなあ。イコール【落馬】頼朝は大将になりたかったかどうか?という話じゃないか。
千佳 私は【玉葉】兼実さんの影響力がどれだけあるか?という話と思いました。
荀攸 そもそも話のスタートは【今様狂い】後白河法皇か【玉葉】兼実か?という問題でもある。で、おそらく3人とも見方は合っている。でも真実は1つだ。
長戸 大将というのがキーワードのような・・・
荀攸 以下はあくまでも私見だよ。【落馬】頼朝に大納言は辞退されたが官職を与えたい【今様狂い】後白河法皇。で、【玉葉】兼実が武官職である大将を与える事を進言したのではないかな。【落馬】頼朝に近いことが【玉葉】兼実の権力の基になっているからね。
千佳 両方足したような話ですね。
 
荀攸 23日には再び【落馬】頼朝が【今様狂い】後白河法皇に会っている。そして24日、【花山院家の基礎】藤原兼雅が右大将を辞任。
千佳 なぜ辞任の話なんです?それに【花山院家の基礎】って・・・
荀攸 大納言と違い、大将には名誉だけの権大将ってのはいないんだ。【落馬】頼朝を大将にするときは、大将を欠員にしないといけない。
千佳 そうなんですか。
荀攸 【花山院家の基礎】兼雅は藤原氏の花山院家の4代目だ。ただ、激動の時代を乗り切ったことが後の花山院家の興隆につながったからね。
長戸 で、【落馬】頼朝が右大将になったと。
荀攸 辞退をしたいという考えが強い、と返事しているけどね。
千佳 でも、【花山院家の基礎】兼雅さんが気の毒なような気もします。
荀攸 【花山院家の基礎】兼雅はそれより上の右大臣だからね。言うなれば兼務を解いたんだ。
 
荀攸 さて、右大将という官職をもらった以上、しきたりとして礼を述べにいかねばならない。これを拝賀という。拝賀について28日に諸々の事を決定した。この時、【得宗】北条義時は【義母は乳母】小山朝政に「随兵は当日決まるが、同じ色の鎧と直垂を着ているものが、私と番になるように頼んである。私はこういう鎧と直垂を準備しているので、あなたも準備してくれ」と伝えた。
千佳 名誉ですもんね。かっこよく決めて選ばれたいし。
荀攸 29日にも【今様狂い】後白河法皇に会い、30日には【今様狂い】後白河法皇の手引きで準備が出来た。12月1日、いよいよ拝賀だ。
長戸 お礼行脚だろ。例の2人はどうなった。
荀攸 7騎の随兵に選ばれてるよ。
 
荀攸 2日が直衣始だ。初めて直衣を着る儀式だ。
長戸 【落馬】頼朝が公家みたいな格好をしたということか。
荀攸 その通り。でも3日には大納言と右大将の辞表を提出している。4日の記載から“先”という言葉がついているから、結局受理されたということだね。
千佳 都で偉くなる気はないわけですね。
荀攸 4日以降で寺社に寄進したり、再び石清水八幡宮を詣でたり、【廉直な貞臣】経房に馬を与えたり、【擁立の黒幕】丹後局から餞別をもらうなどしている。
千佳 出立の準備ですか。
荀攸 なお、六波羅の留守は【京都守護後継】一条高能が預かることになった。
長戸 【京都守護後継】高能ということは、【京都守護】一条能保の息子か。
荀攸 そう、実際に3代目京都守護だし。
 
荀攸 11日に御家人のうち10名に官職が与えられた。そして14日、【落馬】頼朝は帰路に着いた。
千佳 お疲れ様でした。
荀攸 この時、【突然逐電】源広綱が突然逐電したんだ。家来たちもみんな知らずに仰天したという。
千佳 なんか不満でもあったんですかね。
荀攸 おそらくね。26日に黄瀬河着。沼津市だ。ここに馬の乗り換えなどを準備していた。【若妻に狂う】北条時政が食事を献上したというから、迎えに来たというところだろうね。
千佳 ここは良く出てきますね。
荀攸 ここより東が東国ということかな。そして29日に鎌倉着。
長戸 一応は1190年内の行事だったんだな。
 
荀攸 で、ここからは1191年の話になる。
千佳 1190年は【敵討ち第1号】大河兼任さんの活躍から始まった、波乱万丈の1年でした。どんな年になるのでしょう?
荀攸 【落馬】頼朝の昇進を受け、有力御家人達が食膳を献上して幕府御所で祝いをするという日が続くよ。
千佳 ありゃ。
長戸 いいんじゃない。めでたいことはめでたいんだ。
荀攸 1月1日が【都市計画立案】千葉常胤、2日が【助命嘆願】三浦義澄、3日が【義母は乳母】小山朝政、4日が【坂東一の弓取り】宇都宮朝綱だ。
千佳 関東各地の有力御家人ってとこですね。
 
荀攸 さて、今回はこれまで。
長戸 1190年の話が終わった記念に、俺達もたまにはパーッといきませんか。
荀攸 たまにはいいな。千佳ちゃんは?
千佳 私も大丈夫です。このメンバーだったら飲みにいっても大丈夫だし。
荀攸 どういう事?
千佳 友達と行くと、私だけ未成年に間違われるから。