はじめまして。アオです。
子どもの頃、僕は玄関の鍵が回る音だけで、
その日の天気を当てられました。
空の話じゃありません。
家の中の天気です。
ガチャ!!と鍵が回る。
夜20時。父が帰ってくる。
その音のあとの一秒で、
僕はテレビの音量を、そっと二つ下げる。
足音が重ければ、今日は嵐。
軽ければ、まあ、曇り。
晴れの日は……正直、
あんまり記憶にないんですけど。
*
富山の、見渡すかぎり田んぼと、
おじいちゃんおばあちゃん
しかいないような田舎で育ちました。
父は精肉工場、母は看護師。
4つ下に、妹がいます。
家にはなぜか、ゲームだけが大量にありました。
ドラクエ、ポケモン、モンハン、FF。何でもやれました。
父が大のゲーム好きだったからです。
皮肉なもので、そのゲームのことで、
僕はいちばん怒られました。
「ゲームばっかりしとるからやろ」
「このゲームオタクが」
テストの点が悪いのも、走るのが遅いのも、
ぜんぶゲームのせいにされて。
……いや、ゲームは悪くない。
ゲームの世界が、現実よりずっと、
ルールが優しかっただけです。
努力すれば、ちゃんとレベルが上がる。
誰も僕を「デブ」とは言わない。
ちなみに僕の誕生日は9月8日。
松本人志さんと同じです。
笑いの才能のほうは、
1ミリも遺伝しませんでしたが()
*
父は、機嫌の振れ幅が大きい人でした。
機嫌のいい日は、笑う。
悪い日は、家じゅうの空気が、ズッシリと重くなる。
僕はその重さを足音で測りながら、
自分の部屋で、できるだけ気配を消していました。
家にいるのに、家の中で、息をひそめている。
それが、僕にとっての「スタンダード」でした。
*
ひとつだけ、今でもはっきり覚えている日があります。
小学二年の、たしか夏。
「お前はナヨナヨしすぎや」
そう言われて、家の隣の駐車場に連れ出されました。
手には、ドッジボール。
父は昔、柔道をしていたので
ガタイが良かったんです。
大の大人が、小学二年の子ども相手に、
全力で投げてくる。
速い。痛い。捕れない。
何球目かで、ボールが顔に当たりました。
鼻の奥がツンとして、視界がにじんで——
あ、泣いちゃだめだ、と思ったときには、もう泣いていて。
顔ではじかれたボールは、
駐車場の脇を流れる川に、
ぽちゃん、と落ちていきました。
「取ってこい」
僕はボールを追いかけて、そのまま川に落ちました。
……今になれば、ちょっと笑える話なんですけど。
あの日の僕には、笑えなかった。
あの駐車場で、僕の中に、いくつかのルールができました。
泣いてはいけない。泣くと、舐められる。
男なんだから、強くならなきゃいけない。
結果を出さないと、認めてもらえない。
このルールは、子どものうちは、僕を守ってくれました。
でも大人になってから、いちばん僕を苦しめたのも、このルールでした。
——その話は、また別の記事で、ちゃんと書きます。
*
正直に言うと、父のことは、まだうまく書けません。
父が僕を許さないんじゃなくて、僕が父を許せない。
その理由は、僕に向けられた言葉よりも——
母に向けられたものでした。
父は、母にも手を上げる人だったんです。
その日のことを思い出すと、今でも胸の奥が固くなる。
一度だけ、台所で、よくないことを考えてしまったこともあります。
……その話は、いつか、ちゃんと。今日は、まだ書けません。
ひとつだけ言えるのは。
父を許せない自分が、今でもいます。
でも、社会に出て、家族を食べさせていく重さを知って——
父に、ほんの少しだけ、感謝している自分も、いるんです。
感謝があるからといって、傷ついたことが、消えるわけじゃない。
その二つは、どちらかが勝つこともなく、
同じ胸の中で、ずっと同居しています。
*
ここまで読んでくれた、あなたへ。
もし、あなたも。
誰かの機嫌で、自分の一日が決まる子どもだったなら。
大人になった今も、人の顔色を、先に読んでしまうなら。
これは、あなたの話でもあります。
あの頃の僕は、自分だけがおかしいんだと思っていました。
弱いから、こうなったんだ、と。
でも、違った。
僕は、強くなりたかったわけじゃなかったんです。
ただ、怒られない自分で、いたかっただけ。
それは、弱さじゃない。
あの家で生き延びるための、精一杯の知恵でした。
*
このブログでは、そんな僕の過去と、
これからのことを、少しずつ書いていきます。
きれいな話ばかりには、なりません。
「親を許そう」なんて、急ぐつもりもありません。
ただ、同じように、誰かの機嫌を読んで生きてきた人に、
「ああ、自分だけじゃなかった」と、思ってもらえたら。
それだけで、僕がこれを書く意味があります。
ここから少しずつ、本音で選べる自分に、戻っていきます。
これから、よろしくお願いします。
アオ