洋楽化石人類 リンジー・ディ・ポール(Lynsey De Paul)の巻

 ウィスパー・ヴォイス(Whisper voice)というと、どんなイメージをお持ちですか? 愛のささやき、セクシー、アンニュイ、癒し、力が抜ける、お上品、涼やか、おしゃれというところでしょうか。「ボサノヴァ(Bossa Nova)風のフレンチ・ポップス」を連想する人も少なくないでしょう。その代表的なシャントゥース(Chanteuse)のフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)、ジェーン・バーキン(Jane Birkin)やその娘さんのシャルロット・ゲンズブール(Charlotte Gainsbourg)などは、女優としても活躍しています。その影響もあるのか、昔は日本でも女優さんがレコードを出すと、必ずと言っていいほどウィスパー・ヴォイスの発声で、歌詞にご愛嬌のフランス語が交じっていました。たとえば岩下志麻さん、小林麻美さん、などなど。
 アメリカでは1960年代、国民的大歌手アンディ・ウィリアムズ(Andy Williams)の奥さんだったフランス生まれのパリジェンヌ、クロディーヌ・ロンジェ(Claudine Longet)が、英語のポップスにウィスパー・ヴォイスを本格的に持ち込んだ最初の人だと言われています。もっともドーヴァー海峡をはさんだフランスの隣国UKでは、その頃にはすでにウィスパー・ヴォイスのシンガーは何人もいました。ミック・ジャガー(Mick Jagger)卿の「元カノ」マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)の初期の頃とか、最近復活したフォークのヴァシュティ・バニヤン(Vashti Bunyan)などです。そんなウィスパー・ヴォイスの流れの上に今回、第23回でご紹介するリンジー・ディ・ポール(Lynsey De Paul)もいます。
 リンジー・ディ・ポールはロンドン生まれ。「ディ・ポール」という聖人や貴族のような名前は芸名です。生年は1948年説と1950年説があり、年齢不詳なのも謎めいています。デビューシングルは1972年の「シュガー・ミー(Sugar me)」でUK5位のヒットを記録。ファーストアルバム「Surprise」はその翌年のリリースです。歌詞の内容や歌い方、売り出し方、映画スターのような容貌で誤解されがちですが、彼女は「夢みるお人形さんアイドル歌手」ではなく、れっきとしたシンガーソングライター。それも最初はソングライターとして他の人に楽曲提供をした後で本格デビューするという、キャロル・キング(Carole King)のようなキャリアを経ています。
 彼女はアイルランド出身のギルバート・オサリヴァン(Gilbert O'Sullivan)と同じ時期に同じレコード会社MAMでデビューし、会社は当時ブームのシンガーソングライターのツインタワーとして売り出したかったようです。どちらも当時全盛のグラムロックのTレックス(T. Rex)とかデヴィッド・ボウイ(David Bowie)のとんがった音楽を聴いた後の「お口直し」としては、最適な存在だったのかもしれません。
 デビュー曲の「シュガー・ミー」は日本でもそこそこヒットし、オランダ、スペイン、ベルギーでは1位になりましたが、全米チャートでは全く不発。クロディーヌ・ロンジェによるカヴァーのほうが売れていたかもしれません。「ウィスパー・ヴォイスの母国」フランスでもさっぱりでした。日本では他に1972年の「恋のためいき(Getting A Drag)」や1974年の「恋のウー・アイ・ドゥー(Ooh I Do)」もけっこうヒットしたようですが、それぞれUKチャートでは18位と25位。同じ年の「No Honestly」はUK7位に入りましたが、デビュー曲とこれの2曲だけがUKでのシングル順位です。
 もっぱらUKでの人気にとどまり全米チャートとは無縁だったためか、日本では40年以上の歳月とともにリンジー・ディ・ポールは忘れられた存在になっていきました。名前を覚えている人も、その曲よりは「リンゴ・スター(Ringo Starr)の元カノ」とか「ショーン・コネリー(Sean Connery)と付き合っていたらしい」とか、その美貌と結びついた(?)芸能ゴシップの記憶だったりします。美女は得なのか、損なのか、よくわかりません。
 さて、ビートルズ(The Beatles)最後のプロデューサーとして有名なフィル・スペクター(Phil Spector)へのオマージュで60年代感たっぷりの「恋のウー・アイ・ドゥー」の日本盤シングルのジャケットには、「セクシーな妖精リンジーが、スペクター・サウンドに挑んだ大ヒット曲!」と書いてあります。その意味ではリンジー・ディ・ポールは当時のポップミュージックの本流にいた、とは言えるでしょう。
 1977年にはマイク・モーラン(Mike Moran)とペアで地元開催の「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(Eurovision Song Contest)」にUK代表として出場しましたが、惜しくもフランス代表のマリー・ミリアム(Marie Myriam)に優勝を譲って2位。この人は、ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)監督の映画『男性・女性(Masculin, féminin/1966年)』に主演し日本でも人気があったシャンタル・ゴヤ(Chantal Goya)とともに、フランスでは「歌のお姉さん」として親しまれました。
 しかし、リンジー・ディ・ポールのレコードセールスは、UKで「パンク・ムーブメント」が起こった70年代後半から次第に低下していきます。女優としてはそれなりに活躍して人気もありましたが、「美女は3日であきる」をはね返すだけの個性のある音楽性を発揮できなかったのでしょうか? ウィスパー・ヴォイスも、同じロンドン生まれで放送禁止にされた曲まであるジェーン・バーキンにはかなわなかったのでしょうか? 80年代以降は時々、思い出したようにアルバムが出るだけ。UKで70年代リバイバルブームが起きるたびに「ナツメロ歌手」として引っ張り出されていたようです。
 2014年10月、ロンドンで脳出血で倒れ、担ぎ込まれた病院で亡くなりました。生年が1948年説なら66歳、1950年説なら64歳です。麗人は生涯、結婚はせず独身でした。
 さて、1970年頃に始まる日本の「女性アイドル歌手」は、60年代のフランスの「イエイエ・ガール」「フレンチ・ロリータ」がお手本だという説がありますが、現在でもアイドルの世界とシンガーソングライターの世界は、音楽業界では全く別物扱いされています。女性のシンガーソングライターというと、日本人の多くが持っている固定観念は、たとえば「楽器の弾き語り」「文学性を帯びたリアルな歌詞」「インテリ」「独特の〃空気感〃」「シングルではなくアルバムでデビュー」「テレビに出ない」「踊らない、動かない」「笑わない」「ブリっ子しない」「男に媚びない」「芸能ゴシップに名前が出ない」「あまり美人であってはいけない(苦笑)」などでしょうか。
 それだと、70年代当時のリンジー・ディ・ポールには当てはまらない部分が多いようです。彼女はそのウィスパー・ヴォイスとルックスとメロディーメーカーの才能で、「アイドル性を帯びたシンガーソングライター」という、ユニークな存在なのでした。
 2016年6月4日 寺尾淳

YouTube - Lynsey De Paul Sugar me

YouTube - Lynsey De Paul Getting A Drag

YouTube - Lynsey De Paul Ooh I Do


 次回は「エリック・カルメン(Eric Carmen)の巻」です。クラシック方面よりお乗り継ぎでご到着の貴公子。お楽しみに。