「神の手」をもつ男が、神に召された

「本当に神様になっちゃった」と、その死を悼む声があちこちから聞こえてきます。いろいろとお騒がせの多かったマラドーナ選手、オールドサッカーファンの端くれとしては、やはり一言書いておきたいところです。

U-20サッカー世界選手権(ワールドカップ)

1979年に20歳以下のサッカー世界選手権が日本で開催されました。マラドーナは、この大会にアルゼンチン代表の中心選手として出場していました。この大会で母国を優勝に導き大会MVPを獲得した活躍が、世界へのアピールの場となったと記憶しています。

大会は開催国日本のほかに、南米・ヨーロッパ・北中米カリブ・アジア・アフリカの各地区での予選を勝ち抜いた合計16か国で、東京、に横浜、大宮、神戸の4会場で行われました。アルゼンチンとソビエト連邦(今のロシア)での決勝戦を国立競技場で観戦しました。

直線的でスマートでクリーンな戦術と、どことなく東欧的な柔らかなタッチを併せ持つソビエトを応援していたのですが、対照的なスタイルのアルゼンチンが3対1のスコアで優勝しました。

日本は、グループリーグで1敗2分けの成績で決勝トーナメントへは進めませんでした。

当時の日本代表メンバーが泣かせます。監督は松本育夫氏でした。

昨夜、Jリーグの川崎フロンターレがガンバ大阪との勝負を制してリーグ優勝を決めました。現在のフロンターレの監督はアントラーズ出身の鬼木監督ですが、上のメンバー表の14番・風間選手も長くフロンターレの監督を務めていました。16番・水沼選手は自身も長く横浜マリノスでプレーしましたが、現在は息子がマリノスでプレーしています。(いろいろありましたが)

15番・猿沢選手は広島県工の出身で、新潟でのインターハイで云々 この辺り話し出すときりがないので止めます。

Trading Card Journal

1979年のU20ですが、優勝はアルゼンチン、MVPはマラドーナでしたが、もう一人注目を集めたのが大会得点王(8点)のラモン・ディアスです。

後列右端がマラドーナ、前列左端がディアスその隣パサレラ? マラドーナとディアスは犬猿の仲といわれていますが…確かに両端に

ラモン・ディアス。聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょう。1993年のJリーグ開幕から3シーズンにわたり横浜マリノスに在籍しカップ戦を含め90試合出場、59得点を挙げています。

YouTubeにまとめてくださっている方がいらっしゃいました。

マラドーナ選手は母国以外ではイタリア、スペインで活躍しました。英国プレミアリーグ入りの話もありましたが、紆余曲折あり実現しませんでした。

加入が取りざたされた英国のスパーズのグレン・ホドル選手と写る若き日のマラドーナ。当時のスパーズには、アルゼンチンのアルディレスがいました。フォークランド紛争でアルゼンチンンと英国が交戦状態になったときも、両国のためと英国でのプレーを続けた選手です。後にアルディレス氏は来日し、横浜マリノスで監督を務めるなど日本との仲も深い方です。

ディアス、ホドル、アルディレスの3氏のTwitterへのリンクを貼りました。懐かしんでください。3人ともにマラドーナの死を悼まれています。