予想外に素晴らしい作品だった。リウマチで苦しむモード・ルイスだが、その身体的なハンデを絵筆で跳ね返す。彼女は1日1枚絵を描く。そこまで突き動かす原動力は何だろう。彼女の絵への執念は、生への執着に他ならない。晩年の絵筆を取る姿は、痛々しいのに、なぜか幸せに満ちている。サリー・ホーキンスの演技の賜物だろうか、それとも自分がそうあって欲しいと思うからだろうか。
彼女は、絵を描く事に頓着しない。技術的にとか、何派とか、虚栄心なんていうのは皆無なのだ。幾ばくかで売れれば、それで万事ハッピーだ。まあ、今流なら、上手下手な絵とでも言おうか、芸術的かどうかは自分では判断しかねる微妙な作品だ。しかし、何度か見ていると、無類のフォーク・アートに、心の温もりを感じる。夫のエベレットも、落書きのように思っていたが、長く接するうちに、その絵の魅力に取り憑かれたのだろう。スクリーンに映される美しすぎる絶景は、まさに、その絵の景色であり、彼女の心の故郷だ。
モードの人間的な魅力が、見所なのだから、それを引き出すのがイーサン・ホークス扮する夫エベレット。このイーサン・ホークの演技が泣かせる。最近のイーサン・ホークは、どの作品も良い。何で無冠なのか不思議な気がする。この夫婦は、一言で言えば破れ鍋に綴じ蓋、愛情たっぷりというより、ぎこちないがお互いを大切に思っているという夫婦。彼らが曰く、二人は1組の古い靴下。片方はのびのびでヨレヨレ、片方は穴がいている。言い得て妙だ。その近すぎず、離れすぎない関係を、絶妙にコントロールするのがイーサン・ホーク。あれくれなのに、心優しい彼の演技は、染み渡ってくる。
ラスト、妻を失った彼は、いつもと変わらないように見える。元々、口数も少ないし、黙々と仕事をする男だ。考えてみれば、妻のモードは、思う存分、自分の好きなことをして、自分の命を使い果たした。それに比べて、エベレットは、いつの間にか、彼女に献身的につかえる夫を演じていた。その仕える人がいなくなった男の寂寥感は、ひとしおだろう。亡くなる直前に、死期を悟ったモードが、夫に、犬を飼うことを勧める。彼は、頑なに拒否する。妻の死期を受け入れたくないのだろう。こんな夫婦になりたいと思った。