アクションでもなく、SFでもない、そんな中途半端な作品は、得てして、つまらない事が多い。しかも、旬を過ぎたケビン・コスナーが主演となると、観る前から、そんな予感がプンプンする。しかし、蓋を開けてみると、スリリングな展開に仰天。
粗野で残忍なジェリコで登場するケビン・コスナーは、まったくそれらしくない。必死に、それらしく見せようとするが、彼のキャラクターではないから仕方ない。元々、罪悪感のかけらもない男と、妻子を愛するCIAエージェントの両方を完璧にこなせる俳優なんて見当たらない。
そこに、ビリーの人格が入ると、何となく、いつものケビン・コスナーの役柄にハマってくる。ストーリーも、二つの人格を行き来きしながら、事件が同時進行していくので、目が離せない。ケビン・コスナーの年を考えれば、そんなにド派手なアクションはないが、そこそこエキサイティング。まだまだ見せ場を作れそうなケビン・コスナーに、拍手。
ただ、トミー・リー・ジョーンズの覇気のなさには、もう渋いを通り越して、枯れたというしかなさそうだ。その分、ゲイリー・オールドマンが気を吐く。悪役のハイムダールは、迫力に欠け見る影なし。その中で、ガル・ガドットだけが、若々しい色気を振りまいていて、浮いた存在だった。
criminalは、何を指すのか。ジェリコはもちろん、ハムダールも、そして記憶操作をするCIAだって、さらに事件の発端となったプログラマーも、どいつもこいつも犯罪者だ。犯罪者が犯罪者を裁くとは、片腹痛い。しかし、スパイ映画というのは、大概善人なんていないものだ。
ラスト、何となく想定内のハッピーエンド。しかし、よくよく考えると、ジェリコだけが、幸せ一杯。免罪、優しい家族、CIA局員、前途洋々なジェリコが、何となく、しっくりこないラストだった。