こ今日、中国ビザ取得しました。
念願の3ヶ月ビザ、ゲットです。
これで、中国、チベットでビザ延長に心を砕かなくて済む、、、
バンコクやソウルでは3ヶ月ビザは難しい、取るなら香港で、と言われていましたが、
チェンマイでOKでした。
聞いていた、「なぜ3ヶ月ビザが必要なのかに関する、中国語での面接」も全くなし。
おそらく中国人の係員の方、とても心地よい対応でした。
チェンマイの中国領事館にて。
所要4営業日、1100バーツ。
3ヶ月有効の、90日滞在ビザ、(Lビザ)です。
※ 通常、日本国籍の場合、15日以内の滞在なら、ビザ不要です。
15日以上滞在する場合は、ビザ延長手続きが必要になるのですが、
これが、申請する都市によって、延長できるかどうか、
あるいは延長できる期間が違っています。
(一般に大都市は厳しい、田舎は緩い)
そんな訳で、今回はビザなしで中国に入るよりは、3ヶ月ビザを申請しました。
値段も1100バーツ(3300円くらい)だったら、2回延長するよりも安いのではと、、、
ただいま、タイの北部、チェンマイに滞在中です。
2002年にも一度来た事があるので4年ぶりです。
そしてここチェンマイは、何と言ってもソンクーラン!
水掛け祭りです。
辺り構わず誰彼構わず、水を掛け合う。
バイタクやトゥクトゥク乗ってても狙われるので、
まあもう必ずびちゃびちゃになる訳だ、これが。
きょう13日から本格的に始まるらしいのですが、
昨日の夕方から待ち切れないチェンマイのひと、観光客が始めてました。
お堀にダイブしてる人、ビアチャンのんで踊ってる人、トラックにでっかいタンクを積んで回ってる集団。ひや~、すごい。
中国ビザ待ちを言い訳に、しばらくここチェンマイに居座りです。
カオサン好き、僕は。
カオサンロードは、世界中からバックパッカーがやってくる、バンコクの安宿街。
安宿だけでなく、レストラン、旅行会社、土産物屋、鞄屋、マッサージ、フルーツ売り、コピーCD,
コピーソフト、偽学生証、偽記者証、果てはハッパにオンナにオトコと、まあ何でもござれの町。
ある人はバンコクの中の「租界」なんて言うし、
西洋人宿、日本人宿、韓国人宿、イスラエル人宿なども多い。
2002年2月に初めてこの町に来て以来、
カオサンに来ると「帰って来たぁ」と呟いてしまう。
いつももうすぐカオサンに到着だなぁと思うとちょっと、そわそわが始まる。
カオサン飽きたよなんて言いつつ、やっぱり好きなんだ。
東京にいた時、長く旅行に出られなくて、
この町を歩いている夢を見た事まであるほど。
いろんな人とこの町で知り合ったし、信じられないような再会も果たした。
なんだか妙な磁力があって、いつも引き寄せられてしまう。
この町のあちこちに、昔の僕が埋まっている。
まだ何も始まっていなくて、従って終わってもいなかった頃の自分。
俳優に対しても、脚本に対しても、まだまだ希望があったし、
恋愛に対しても、まだまだ一からやり直せた頃。
そしてまだまだ何も知らずに、「すごい!」とか「きっとそうだね!」と言えた頃。
一本一本の小道に、ネットカフェに、SIAMで買う4バーツの水に、
昔の自分と、今の自分を見る。
またカオサンに到着。
いつもの通り、ニューメリーVに宿泊。
シングルで130バーツ。400円くらい。
裏寺散歩にチャオプラヤー川に落ちる夕陽を見て、
アローイおじさんのシェークを飲みながら
世界中からひっきりなしにやってくる旅行者達を眺める。
カオサンは今回で最後と決めている。
次にバンコクに来る事があっても、
もうその時はバックパックじゃないだろう。
だからカオサンには来ない。
見物がてら来るかもしれないけど、
それは「帰って来る」とはもう違ったもの。
だからもう今回で、カオサンは最後。
カオサンロードに来る度、いつも食べるものがある。
チキンバゲット。でっかいサンドイッチだ。
チキンの照り焼きがそのままパンに、
挟まっているのでなく、もうボンとのっかっている。
初めてこの町に来た時、その旨さとでっかさに感動した。
あれが忘れられなくて。
でもどのレストランで食べたのか記憶がはっきりしない。
たしかメイン通りのD&D INNの近くだったのだと思うのだが、、、
で、カオサンに来る度、あの時のチキンバゲットをと、
色々な店で「チキンバゲットプリーズ」を繰り返して来た。
でも、いつも味わう軽い失望。
あの時のチキンバゲットとはどこか違う。
あの時の感動に、どうしても巡り会えない。
こんなものじゃなかった、
こんな味じゃなかったと、
くり返しくり返し、そう。
カオサンロードを去る今日、
もうここに「帰って」来るのは終わりにしようと決めて、
最後のチキンバゲットをオーダーした。
D&D INNすぐ近くのウッドテラスのあるレストランで。
確かにおいしいし、確かに大きい。
でも何かが違う、あの時の感動は、もう僕にやって来ない。
それでも、このチキンバゲットだったのだ。
もうそれで結論づけなければいけない。
02年2月2日に食べたチキンンバゲットは、
きっとこれだった。
もうそれでいいと思った。
だっていつまでもチキンバゲットだけを探し続けるわけには、
もういかないんだもの。
カンボジアの電車
カンボジアに来て、バスでなく電車に乗ってみたかった。
カンボジアの電車はその遅さぶりが有名で、
さらに屋根にも登れると聞いた事があった。
ただ、路線的に一番旅行者が使うであろう
「プノンペンーシェムリアップ(アンコールワットのある町)」間に走っていないので、あまり電車に乗る人はいない。
旅行者でもカンボジア人でさえ乗った事がない人が多い。
モンゴルで会ったミキさんがカンボジアの電車はそのローカルな雰囲気が最高と言っていたのでどうしても乗ってみたかったが、、、
何度かプノンペン駅に行ってみたが、、、なんか廃墟のような。
ずっとシャッターが閉まっていて、雰囲気的に危険な香りがプンプンと。
それでもチケットオフィスまで「もぐり込んで」見たところ、
「電車は土曜日だけ」だって。
土曜日にプノンペン発、Sisophon着。
日曜日にプノンペンに帰って来る。
「何ごとも起きなければ(たいてい何か起こるらしい)」17時間ほどで到着とのこと。
距離にして350キロほどだと思うんだけど、それに17時間とは、、、
あ~、、、駄目でした。
あきらめて、バスバス。
「ハッパ、オンナ、キリングフィールド、シューティングパンパン」
東南アジアに入って、三輪タクシー、バイクタクシーの客引きが激しい。
歩いていると声をかけて来て、
「どこ行くんだ、3万ドンで行こう」などと。
まあ鬱陶しいことは確かだが、
多くの旅行者の彼らを完全無視し人間扱いしないような態度は、
見ていて気持ちいいものではない。
笑顔で行かないよと言うと笑顔を返してくれるドライバーがほとんどだ。
で、ベトナムからカンボジアに入って。
カンボジア首都、プノンペンのバイタクドライバー。
正直、タチが悪い。
第一声からして既に違う。
一応タクシードライバーなのだから、「どこ行くの?」が普通だと思うのだが。
日本人を見かけると、「ハッパ?オンナ?」
これがもう決まり文句だ。
笑顔で首を振る気にもならず、むかついた顔で無視するようになっていた。
それだけ、日本人がプノンペンで「ハッパとオンナ」を買っているという事だろう。
だから日本人の男を見ると「ハッパ?オンナ?」
まあ、きっとそういう事だ。
「ハッパ、オンナ」を無視していると次に続くのはこんな台詞。
「キリングフィールド? シューティング、パンパン」
キリングフィールドは、プノンペン中心から15キロほど離れた、クメールルージュの虐殺現場。シューティング、パンパンは、要するに実弾射撃場。
なんだか、悲しい気分になる。
「ハッパ、オンナ、キリングフィールド、シューティングパンパン」
卑しい笑いと共に発せられる、原色ばかりを混ぜ合わせた反吐が出るような色。
欲望てんこもりのどぎつい色のカクテル。
人間の所行を点で繋いで描いた、いびつな四角形。
たくましいと、そうも言えるかもしれない。
彼らの悲しすぎる歴史であるキリングフィールドまで他の3つとごちゃ混ぜにして、
とにかく金を稼いで生きている。
そうも言えるのかもしれない。
この四点セットの誘いを3日間聞いていて、
こんな人間像を思った。
言われるままにハッパを買って、トリップ。
誘われるがままにオンナを買って、セックス。
キリングフィールドでは、死者に祈りを捧げ、どうしてこんな虐殺が起きたのかと呟く。
そして夜はピストルをぶっ放し、何かの「ちから」の感覚に浸る。
不思議なほど、この「彼」には矛盾がないと思った。
彼には性欲もあり、未知の世界への渇望もあり、虐殺に心を痛める良心さえあり、
一方で拳銃の重さにも酔う、極論すれば潜在的に他者を傷つけ殺したいと思っている。
(これには異論もあるだろうが、潜在的に人間は暴力が嫌いではない、これは事実だ)
カンボジアは、怖い。
何かが、未だ「野」のまま、剥き出し。
それは僕が望んでいた事のはずだったのに、
それを前にして、なぜか深く考えるのが怖かった。
僕は本当の怖がりで。
身を縮ませて、穴に隠れて震えている。
ずっと。
子供の頃から、そしてそれは今だって。
ある日、「恐怖に克つには、そこに飛び込むしかない」と、オレンジのメモ帳に書いた。
だからたとえば。
ホームレスになるのが怖くて、次の一歩が踏み出せなかった僕は、
山谷に飛び込んで、ホームレスの人達に紛れて一週間を過ごした。
ブルーテントに泊めてもらい、朝からワンカップをあおっては吐いた。
死ぬのが怖かった。
タイのエイズホスピスでワークした。
これから死んでゆく人、死んだ人をたくさん見た。
エイズ患者とご飯を分け合って、彼らの大便を処理した。
影に怯えるよりも、その恐怖の正体を捕まえる事。
それが僕のやり方だった。
恐怖のど真ん中に飛び込んでそこで見る風景、
その分だけ強くなれると信じた。
でも。
本当は違う。
本当はきっと違う。
怖れ、震え、怯える自分も受け入れる事。
克たなくていいから、ただ逃げない事。
強くなくていい。弱くてもいい。
ただ逃げない事。
受け入れる事。
だから僕には怖いものがたくさんある。
プノンペンで語り合ったチベットの話。
今日、プノンペンの屋台でごはんを食べながら、
ある日本人とチベットの話しをした。
その人ももう8年、カンリンポチェを追い続けているという。
チベットは僕の方が早く入れそうだが、
その人はラダックに行った事があるという。
ラダックと聞いてもピンと来ない人が多いと思うので。
現在の国境区分で言うと、インドにあたる。
しかし、いわゆる「カシミール」であり、パキスタンとの国境問題で
何かと騒がしい所だ。
中国、インドの国境沿いに、東からブータン、シッキム、ネパール、ラダックと並んでいると思えば分かり易いか。
文化的にはおおまかにいえばチベット文化圏と言う事ができる。
しかし中国内チベットの寺院などが文化大革命で壊滅的な打撃を受けたのに比べ、
寺院や仏像、壁画の保存状態がチベットよりも良いと言われる。
ラダック。
彼から、凄まじい話をいくつか聞いた。
ちょっとここに書けない、、、
行ってみたくなった。。。
彼の合掌。
その子には手がない。
両肩からなにかネギのようなものが15センチほど、ひょろっと生えている。
根の先には爪らしきものが一つ生えている。
首にお金を入れてもらう為のポシェットを提げている。
手になり損ねた両の手を合わせ、お金を下さいと懇願する。
僕はバスの中から彼を見おろしている。
50ドルを両替した20万カンボジアリアルで財布はパンパン。
でも僕はバスの窓を開けなかった。
窓を開ければ、対向車がまき散らす赤い砂埃がまた車内に舞い込むだろう。
「お金はあげないと決めた」
「お金をあげる事によって彼らの自立を妨げている」
「一人だけにお金をあげても、きりがない。それは見て来た通り」
そんな様々な言い訳は用意できても、
窓を開けなかった直接の動機は、
自分が一番分かっている。
眠りたい。
もう少しだけ、眠らせてほしい。
優しすぎるバドミントン
旅行を初めて、ひとり旅が寂しいと思った事はない。
ひとりで在るのが寂しい事はあっても、旅行はやっぱりひとりだと。
上海、外灘。
ここは公園、遊歩道になっていて、
早朝から上海の人々が、太極拳や気功、ダンスの練習にやって来る。
ホテルが見つからず、足が痛くなり、
重い荷物を放り出してベンチにへたり込んで。
アジア一高いテレビ塔と、朝日と、そして水を一口。
ある老夫婦のバドミントンを見ていた。
それは優しい優しいバドミントンだった。
できるだけ相手が動かなくていいように、
手の近くだけに羽を放る、ラリー目的のバドミントン。
いつまでも続く羽の往復を眺めていて、
一人旅が寂しいと、旅行に出て初めて感じた。
誰かの傍にずっといて、優しく羽を放り合う幸せ。
「ひとりになって、いったいどこまで」
どうしてこんなに寂しい事を、
僕はいつまでもしているんだろう。
「生まれたところを遠く離れて」
9ヶ月目の朝に見た、それはやさしいやさしいバドミントン。


