大変な雨と風でしたね。

みなさん、大丈夫だったでしょうか?

僕はこの6月1日から一泊二日の予定で東京→横浜→大阪だったのですが、

見事に新幹線がストップして、予定外の横浜宿泊に。

外は雨風、出かけるも億劫でホテルに籠って。

今までの自分を振り返る、素敵な一夜になりました。

 

 

俳優を引退した時、本当は直接伝えなきゃいけない同志がいました。

その人は、僕のたったひとりの、「同期」と言える人。

1998年の秋。同じオーディションで1500人の中から選ばれた、僕と彼。

同じ事務所に所属し、同じ演技のレッスンを受け、

一緒に演技の話をしたり、映画を作ったりもした、彼。

しかし、2004年に僕が彼に電話をすることはなかった。

彼に黙って俳優を辞めたこと、あの時電話をしなかったこと。

それは僕の心のどこかに、ずっと影を落としていた。

 

 

 

彼からの連絡を絶ったのは、僕の嫉妬だったように思う。

僕たちの事務所はその後、メンズ部門を廃止したので移籍先をそれぞれ探した。

彼は日本でもトップ5には入るであろう事務所に移籍し、そこからすぐに、

連ドラ、朝ドラ、大河、映画と立て続けに出演。

相変わらず毎日がアルバイトの僕とは、大きな差が開いた。

それでもいつも僕を気にかけて電話をくれた彼、貴重な経験を教えてくれたのに、僕にはそれが段々苦しくなった。

そして、いつかの電話で、僕が決定的なことを言ってしまった。

電話を切り、切れた受話器をしばらく離せなかった。

あの時から、もう20年以上が経った。

 

 

それから互いに色々なことがあったと思う。

彼は今も、俳優の道を歩いていて、作品を残している。

僕は俳優も脚本からも、ずいぶん遠いところにいるけれど、なんとか踏みとどまっている。

ずっと出せなかったメールを、なぜ出そうと思ったのかわからない。

でもこの瞬間を逃したら、連絡しようなんてもう金輪際、思えないのでは、と。

 

 

20年ぶりのメール。

彼のホームページはよくみていた。事務所何度か変わったことも、Youtubeチャンネルがあることもずっと知ってた。

だから、「たまたま見つけた」なんてのは、それは嘘で。

ずっと、気にしていた、気になっていた。

整理しても片付かないことの、ひとつだった。

 

彼はすぐ返信をくれた。

勇気を出して、彼の返信メールを読んだ。

僕との日々、一緒に作った映画のことも、覚えてくれていた。

「村瀬さんの家で過ごしたことは懐かしい思い出です」と。

そうか。彼のいう「村瀬さん」はきっとあの頃の「村瀬さん」のままなんだ。

 

またいつか、どこかで会えたら。

 

 

16524/9909

 

 

LINEASTORIA(リネアストリア)→公式サイト

〜公式サイト・ウィッグ販売〜

 

LINEASTORIA(リネアストリア)→楽天市場

〜楽天市場・ウィッグ販売〜

 

LINEASTORIA(리네아스토리아)→한국사이트

〜韓国リネアストリア〜