私の母は戦中戦後育ち
幼い母は親戚の家を転々とした
それは母を預かる事で米や野菜を渡す
ある家がある程度になると別の家へ
母は7人兄弟の健康な子だったから
次女は汽車に跳ねられ即死
長男は産まれて間もなく栄養失調で亡くなった
母の直ぐ上の姉は体が弱く
母が選ばれて転々とした生活
次の家で一番下の子を子守りしながら
暮らしていたが、その子が突然亡くなった
母は高熱出して倒れて家に帰れた
何日も続く熱にとうとう枕元に棺桶が
置かれた
ずっと夢を見ていたと…母は言った
一命を取り留めてから家で暮らし始めた
小学校高学年くらい中学までの暮らしの後で金の玉子と呼ばれ東京に出て来た
祖母の躾は厳しく母と直ぐ上の姉ばかり
家の掃除、雑巾掛けをさせられた
「オレ達はいらない子だからオレ達ばかりやらされる。」と二人で話したそうだ
一番下の妹が学校に行きたくないとごねれば、母が背負って送って中学に行く
勉強は出来たがそんな事情で勉強が追いつかなくなり、父に訴えて自転車通学を中学校から許可を得た
母は掃除が苦手で、それは私もで
実家は汚いけど温かな家だった
父は文句は言うけど片付けない
母は子育てと家事と仕事していたから
家にまで手が回らなかった
ただそれだけ
母方の兄弟の家は整理整頓されていた
「あれはしょうがない。」と叔母に言われた
母はどんな思いで実家に暮らしていたのか?
口数の少ない父、働き者で厳しい母に褒められることもなく、戻った家でも手伝いをして、私達が田舎に行くと母は率先して家事をしていた
誰かに甘えることは出来たのだろうか?
父との結婚理由を聞いた時
「言うこと聞いてくれる人だから」
母は自由になりたかった
でも、誰かに甘えたかったけどプライドが高くて、それには気付いてなかったんだろう
自分で自分の始末をすることを幼い頃から身につけてきたのだろう
一時期私は母の母になろうとしたけど
出来なくてごめんね
私は私の子供の母にしかなれない
それだけでも私は壊れてしまったから