妹が保育園に入園してから暫くして
園長先生が家に来て、母に保育園の給食補助をと頭を下げて頼んできたので、母は保育園でパートとして働くことになった
私はというと姉と比べられることもあったりしたが、登校拒否にはならなかった
二年生から四年生の間はいろいろとあった
時系列は覚えていないが
右手首骨折全治三ヶ月この時も先生はイライラしていた
利き手が使えないからノートに書けない
けど、何か言われて必死で左手で文字を書いた
最初は授業中に書ききれなかったけど
出来るだけはした
私はある意味版書きを写しても意味は無いと今は思っている
それより話をよく聞いて理解する方が勉強は頭に入ると思う
ノートが綺麗に書けるとか拘っていた時代だからしょうがないけど
読書感想文で区長賞を取りホールで表彰され、区の感想文の本に載った
私は「お馬鹿」だと思われていたが、ある意味の計算高さをこの頃から持っていて、こう書いたら大人が泣くかなとほぼ本を読まずに書いた感想文だった
この頃は特に誰かと連むということもなく、家に帰れば近所の子達と遊んでいた
家に帰っても「おかえりなさい」はない
でも、「ただいまぁ」鍵を開けて入っていった
多分幼い頃の私の脳裏のイメージは夕陽に照らされた部屋に隣に赤いランドセルを置いて、電気も点けずに膝を抱えている私がいた
私は家出と自殺癖があった
「もういい、出ていく」
風呂敷に洋服を詰めて家を飛び出したり
タオルで自分の首を絞めたりしていた
原因は今は覚えていない
妹はちゃっかりした性格でインスタントラーメンを作っているとお椀とお箸を用意して座っている
私はしょうがないなぁといつも妹に分けてあげた
家がおもちゃをあまり買ってくれないから、玩具屋で当時五十円でおままごとセットが少し買えたのでみかん箱いっぱいなるまで買って妹の誕生日プレゼントしたりした
別に妹が嫌いでは無かったが、母の無邪気な言葉で嫌いになっていった
「お父さんはお姉ちゃんが好きで、長女だしね、私は下が好きなんだよ、一番下だから」とわざわざ私が一人の時に言ってきた
無邪気さは残酷でしかない
「私は???」
と心の中で思った
何を言っても傷つかないとでも思っていたのか、今もってわからない
親子でも兄弟でも相性はある
私は母とは相性がよくない
素直で無邪気な母の言葉に傷つけられたことや行動でもある
家を買うお金百万円貯まったから残りの百万円を母が実家に借りに行っている間に父が自分の親戚にその百万円を貸してしまって(結局返ってこなかった)
怒った母は父と離婚する気で妹だけ連れて田舎に帰ってしまった
私はその記憶がなかったが、母がいなくなって父が作った料理が不味いと言ったら食べなくていいと言ったと大人になって姉と話していたら
「あんた覚えていないの?あの時お母さん妹だけ連れて田舎に帰っちゃたんだよ、私とあんたは残されたの。」
あっそっか、お母さんも私達を捨てたんだ
姉と私は両親に捨てられていたんだと
だから、私は家出や自殺癖があったのか
父も今は鬼籍に入ったし、母とは絶縁しているので関わらないけど、産んで育ててくれたことは感謝しています
貧しい暮らしの中でありがとうございました
でもね、関わると私もっと壊れちゃうからコロナ禍から関わるのを辞めた
私の子供達からも関わらなくていい
「母はもういい娘をやらなくていいんだよ。」と言われた時に楽になった