今週の月曜日(2016年6月13日)、
あの"事件"に 司法の最終的な判断が下されました。
ほぼ同時に アメリカ フロリダ州で衝撃的な事件が発生したこともあり、多くの人々の関心はそっちへ向いているようです(あれほどの事態ですから もちろん 当然ですね)
今となっては 人々の記憶からほとんど消えかけているような気がしますが....
日本で発生したゲイ関連の犯罪において、重要な出来事だと思うので、この「Gaydar!」に 記録しておきたいと思います。..
4年前の2012年の1月、ひとりの男が警察に逮捕されました。
容疑は「有印私文書偽造」と「ストーカー規制法違反」。
その2週間後、その罪状に「殺人」と「現住建造物等放火」が加わりました。
山形東京連続放火殺人事件。
そういえば....
と 思い出された方もいるでしょう。
<事件について>
名古屋に住んでいたゲイの男性(仮名 A と表記します)が、同性の自分の恋人(以後 Bさんと表記)にストーカー行為を働き Bさんの実家がある山形県に行き、実家に火を放って彼の両親を殺害。
それから1年後、Aは別の恋人(以後 Cさんと表記)と名古屋で同居していたが、暴力に耐えかねたCさんが家出。
Aは Cさんの実家がある東京都江東区のマンションに「Cを出せ」と押しかけ、彼の母親を中毒死させた上で建物に放火。
この2つの事件によって 何の罪もない3人の人の命が失われました。
Aには死刑が求刑されましたが 第1審、2審を通じ"死刑は重過ぎる"として 弁護側は上告の手続きを取りました。
その結果が、6月13日に明らかになったわけです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160613/k10010554951000.html
この事件が発生した当時、ゲイからの反応は
わりに冷ややかだったように記憶しています。
"犯人はたまたまゲイであっただけ"
"自分たちまで「変質者」「異常者」と 一緒にくくられたくない"
"単に しょーもないサイコパスの犯行だろう"
"人間性の問題で セクマイであるとかないとか 関係ない"
という趣旨のコメントを ネット上で たくさん目にしました。
でも
本当にそうだろうか?
ごく普通に暮らしているゲイの日常とは無関係な問題 で済ませてしまって いいのだろうか?
という気持ちがあります。
一連の事件は複雑な展開を見せましたが、これには以下のような特徴があります。
① 同性によるストーカー行為であった
② 当事者の片方が既婚者であった
③ 加害者、被害者の双方が同じ"秘密”を共有し そのつながりで親しくなった
という 3つの点がポイントなのですが、これらがいずれも <恋愛><共依存><偏執><ネット掲示板><親><偽装><ルームシェア><地方都市><東京>といった 日本のゲイにはおなじみのキーワードをたくさん含んでいるのです。
① 同性によるストーカー行為であった
山形の事件では 親密な関係になったあとでAの暴力(ドメスティックバイオレンス)に気がついたBさんが実家のある山形へ逃げ帰ったのですが、AはBさんに対し
「おまえがゲイであることを職場にばらす」
といって脅迫し ヨリをもどすように迫ったそうです。
しかし同性によるストーカー行為であったことから、Bさんの側が"事実が世間に知られること"に対する極端な恐怖感を抱き 最初の段階でHELPのサインを出しにくかったのではないか?という印象があります。
山形の火災直後、Bさんは警察に対し
「自分はストーカー行為に遭っていた」
と相談していたそうです。
しかし、結果的にAが逮捕されたのは Cさんの母親が殺害された1年後。
未然に防げぬまま同様の事件が繰り返されてしまったわけです。
今から16年前の2000年に
「ストーカー行為等の規制等に関する法律(ストーカー規制法)」が制定されました。
これによると ストーカーとは
「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する」ことを目的とする行為であり、ストーカー行為の相手方(被害者)は「当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者」
と定義されています。
ストーカー行為の相手方が異性と限定されているわけではないので 関係がゲイ同士であっても もちろんこの法律は適用されるわけです。
ただし たとえ法律が整備されていても 一般に広く知られていない可能性は高いです。
たとえば、法律で規定されている保護の対象は被害を受けている本人だけでなくその家族や勤務先の同僚、上司、本人の交友関係(恋人など)も含まれているのですが、こうした事実が広く認知されているとはまだ言いがたい状況なのではないか、と思います。
また、実質的な相談窓口としては警察になるので、その際に自分たちの間柄をきちんと伝えたうえで対処してもらうことも必須になります。
性的なニュアンスがバレると困る、などの理由からどうしても相談しにくい場合には 弁護士などの代理人に相談し、法的な手続きをとってもらうことも可能ではないか、と思います。
このように 救済のための制度はあっても、イザ というとき うまく情報網にアクセスできるかどうかで 結果に大きな違いが生まれます。
窓口の対応者がセクシャルマイノリティに対して一定の理解を示していることが前提になりますし、その部分にネックを感じている人々もいるかも知れません。
確かに 全国的レベルで理解の促進をさらに進めていくようにな働きかけを行うことも大切ですが、同時に被害者の側も "自分は正当な手続きを踏んで相談を受ける権利がある"という意識をふだんから携帯し、情報をインプットしておく習慣を身につけておくことが大切だと感じます。
そうでなければ どんなにシステムを整備したところで 有効に役立たないからです。
Aのような凶悪殺人までにエスカレートしなくても、現カレから暴力を振るわれる、あるいは金銭的な恐喝をされている、元カレからストーカーされている....というようなゲイの話は 僕の身近でも 時々 聞きます。
その意味でも この事件が"たんなる異常なサイコパスがいて たまたまゲイだっただけである"と片付けてしまう意見には 「え?」 と思わざるを得ないのです。
② 当事者の片方が既婚者であった
Aには 法律上の妻が存在していました。
この女性(Dと表記)は 最初から偽装結婚を承諾してAとの戸籍を入れています。
理由は分かりませんが、経済的な面を含め 当人同士がお互いの"世間体"を気にして踏み切った、という部分もあるのかも知れません。
Dの証言によると、そもそも結婚の申し込みじたいが Aからの申し出だったそうです。
「籍を入れるのを断ったらぶっ殺す」というような脅迫をAから受けていたらしく 恐ろしさのあまり すべての行動をAの言うなりにされ 操られていた、という見方もできます。
しかし、江東区の事件では DはAと共犯関係にあり Aの新しい恋人Cさんの母親を監禁し、殺害したあとで火を放ち、証拠の隠蔽を図っています。
非常に残忍に犯行ですが なぜDはAと共謀したのか?
やはりこちらも"脅し"に屈した結果だったのでしょうか?
公判中の証人尋問で Aは
「僕の言うことは絶対で 妻は協力を断ることはできなかった」
と Dをかばう言動をしています。
しかし AがそこまでDに深い愛情を示しているなら なぜ 彼女を凶悪犯罪に巻き込んでしまったのか?という点が不思議でなりません。
もしかすると2人の間には、ある種の"共依存的な構造"が生まれていたのかもしれません。
あるいは自分の非を認め、情状酌量による減刑請願も意識しての発言だったのか?
最終的に 共犯者Dは懲役18年の刑が確定しましたから Aとの結婚により 自分の運命が大きく変わってしまったことは確かです....
さて
"女性と同居しているゲイ"という存在は 珍しい存在なのでしょうか?
僕の周囲でも それなりに聞きます。
そうした背景があればこそ 『偽装の夫婦』 というようなテレビドラマが製作されたりもするのでしょう。
自分の都合を優先させた 書面上だけの関係。
規制のルールにしばられない自由な共同生活、というイメージに憧れをもつ人も多いでしょうが 人間の感情は複雑に入り組んでいる、ということも 忘れてはならないと思います。
互いへの愛情が嫉妬に変わったり 経済的な理由などによっても憎悪を抱いたり、など 予想外の展開になる可能性は 充分にありえるからです。
今回の事件では加害者が既婚、被害者が未婚、というケースでしたが 既婚であるという点をネタに脅迫やゆすり、ストーカー行為に発展するとしたら 逆パターンの被害者→既婚、加害者→未婚 というケースも 当然ながら想定できます。
ましてや、そこに"3人目"が割り込んできたりしたなら...
..
関係が2人から3人になれば よりややこしく 隠さなければならない秘密が増えてくるのは 当然の流れだろうと思います。
同じ屋根の下、それぞれの利害を抱えている男、女、男(あるいは 男、男、男)....の3人が暮らす、ということに対して"何が起こるかわからない"というなんらかのリスクは 想定しておくべきではないでしょうか。
③ 被告、原告の双方が同じ"秘密”を共有し そのつながりで親しくなった
AがBさん、Cさんの交際相手2人にストーカー行為を働いたのは もちろん 相手に対する未練が断ち切れなかった、ということが ベースにあったのでしょう。
一方で 度重なる暴力など身勝手な振る舞いを続けたことで 相手が自分から遠ざかってしまったのだ という事実には気がつかないままであった という幼稚性も垣間見えます。
自分にとっては愛情を注いでいるつもりでも 感情だけがエスカレートして.....
自分の行為が相手の迷惑になっていないかどうか....自分たちの先に待ち受けていることを 考えられなかったのでしょうか。
2つの事件に対する検察側の求刑が『死刑』だったのも、被告Aの"身勝手さ、非情さ"が大きく考慮された結果でしょう。
公判の最中、Aは
「ほんとうはゲイなんかに生まれたくなかった」
と 自己を否定するような発言をした、と言われています。
これが Aの"言葉通りの真実"であるとするなら......
自尊心の欠如(どうせ自分は価値のない人間なんで人生どうなったっていい)が 自暴自棄的思考(他人のことだってどうなろうが知ったこっちゃない という"やけっぱち"な価値観)につながり、Aを凶行に走らせる原因のひとつになった可能性は 大きいと思います。
自分の価値は 自分だからこそ理解できるのでしょう。
自分を守り、いつくしむ感情が育たなかったら
人は うまく成長できないはずです。
本当の自分を愛する。
これは 鏡の前の自分にウットリするよりも よっぽど重要なことです。
ましてや 他人にカムアウトしようと思うなら
まずはその前に "現在の自分は 自分の存在をちゃんと認めているだろうか" という振り返りができているか をしっかり確認しなければいけないでしょう。
被害者のBさん、Cさんの立場も深刻です。
.自分の親がかつての交際相手に殺害された、という事実に 残りの人生の時間 向き合って生きていくことになってしまったわけで.....
ちょっとした好奇心から ”自分と同じ世界の住人の場所"に踏み込んでみた、けれど そこが自分の予想と遥かに異なった異次元であったことに気がついた。
しかし そのことをきちんと相談できる第三者が見つからないまま相手に引きずられ 精神的に追い詰められてしまったのではないか、と思うのです。
Aとは違う意味で....自分たちの先に何が待っているのか 展開が読めなかったのでしょう。
山形の事件で Cさんはネット掲示板を通じてAと知り合った とも伝えられています。
スマホのアプリや掲示板で簡単に相手を見つけるのは たしかに 気軽で楽しいかも知れない。自由になった 開放された気持ちは ありますね。
同時に、どこのだれだかわからない怖さも否定できないし
得体の知れない恐怖感は 拭えない。
"同じなにかをシェアできている"という喜びだけで どんな場合でも良好な関係が築けるほど、人間同士のつながりは単純なものではないからです。
人と人とのコミュニケーションを考える上で こうしたあたりまえの事実を 頭の中にきちんと入れておくことは重要 と思います。
6月13日(月)、最高裁小法廷で行われた上告審では、死刑回避を望むAの請求は却下され、最初の事件から5年を待たず 死刑が確定しました。
失われた人々の命は永遠に還らないし
また 死刑を宣告された被告の命を考えると なんとも言えない気分になります。